菅野美穂主演の連続ドラマ“ウチカレ”こと「ウチの娘は、彼氏が出来ない!!」がなかなかおもしろい。ドラマは、NHKの連続テレビ小説「半分、青い。」(18年上半期)などを手がけた北川悦吏子脚本のオリジナル作品。
実は放送前、タイトルを知ったときは少しギョッとしました……。娘の恋愛事情を毒親のように危惧し、恋愛を強要する毒親の話……? これ、古い価値観てんこ盛りの作品なのでは……? と。
しかし! 実際放送が始まってみるとそれは間違いで、タイトル以上の豊かな広がりのある作品であることがすぐ分かりました。恋愛しない人生が肯定される時代であっても、もちろん恋愛をしてもいいし、ラブストーリーというジャンルの存在価値はまだまだある。そのわけを、同ドラマと過去の北川悦吏子ドラマを掘り下げながら考えてみました。
菅野美穂と浜辺美波がトモダチ親子に
本作は「働きマン」(07年)、「キイナ〜不可能犯罪捜査官〜」(09年)、「曲げられない女」(10年)で水曜10時枠の主演を張ってきた菅野美穂と、昨年「私たちはどうかしている」(20年)で同枠初主演を果たした浜辺美波が母娘役で共演。
水曜10時に放送される日本テレビ系「水曜ドラマ」は、週の真ん中に元気を与えてくれる、“働く女性”をターゲットにした作品が多い枠。そこで実績のある菅野美穂と、新星の浜辺美波、このタッグが見られるのはとても嬉しい限りです!
まずドラマのイントロダクションを簡単に説明すると、「恋愛小説家の母・水無瀬碧(菅野美穂)と、しっかり者の“オタク”の娘・空(浜辺美波)のそれぞれの恋愛模様を描くラブストーリー」となっています。
2人は隠し事なく話ができ、腕を組んで歩ける、いわゆるトモダチ親子のような関係性。文部科学省の調査では、現在友達のような母親でいたい親というのは83.2%にのぼっているので、これは今のリアルな理想を叶えた設定のよう。
しかしトモダチ親子という存在は、過干渉になる母娘の共依存関係の問題をはらんでいるので、現実は賛否が分かれるところ。なぜなら母親が子どもを自分の支配下に置いてコントロールすることもあるから……。
ただ今回ドラマを観る限りでは、2人はお互いに自分の価値観をしっかり持っていて、同じ目線で言い合える良好な関係性を築いているよう。母が娘のことを「君」と呼ぶところも個人としての尊重を感じます。
恋愛小説の女王の母とオタクの娘の価値観の違い
2人の価値観の違いは特に恋愛において顕著にあらわれています。恋愛小説家の母は、第1話冒頭で「恋愛」についてこう語っていました。「恋愛って刀を持つことだと思うんです。男と女の真剣勝負。きっと人をどこまで切っていいかって恋愛で学ぶの。刀を刀を持たねば血が出る頃合いも分からず、傷の直し方もわからない」「今の子って恋愛しないじゃないですか」「恋をすることでしか成長できない部分があると思うんです」「恋い焦がれる気持ちを知らないなんてこの世に生まれてきて不幸じゃないですか?」。
しっかりポージングを取りながら記者に朗々と語る姿は、彼女が恋愛小説の女王と呼ばれていた事実をしっかりと描写してくれています。しかも、その恋愛観の古さから、昔は一斉風靡したが最近は鳴かず飛ばずの存在であることがひしひしと伝わってきます。
一方娘は、ビックサイトでエロい漫画を山程買う筋金入りの漫画オタクの大学生。恋愛にかまけている暇がなく、漫画の新刊を買い漁ったり、コミケに向けてコスプレの準備をしたりと忙しい日々を送っている。母からもずっと未婚のまま実家暮らしをする「子ども部屋おばさん」になるのではないかと心配されているけど、それ以上に「いい歳して天然で、時に暴走する世間知らずな母」を心配して放っておけない。母が恋愛テクニックを教示する際、「かわいそうに、こんなことをしてモテてきたのか」とばっさりと母を否定しているところは頼もしい限りです。
当たり前だけど、母と娘は別人格の別の人間。20歳以上離れていて世代が違うのだから、それも当然ですよね。
ここからも、事前情報にあった碧の恋愛観だけで時代錯誤な脚本のドラマと認識するのは間違いだとわかります。それらは主人公の作家性を際立たせるため“あえて”使われている設定にすぎず、脚本自体はちゃんと時代を反映して制作されているのでご安心を。
たとえば先述した碧の恋愛観が語られる場面では、インタビューに同席していた担当編集者の女性が早期退職する理由を「働いても働いても女は偉くなれないということが分かったので」とさらっと語るシーンがありました。「ガラスの天井」に身につまされた女性の思い、大阪の吉村知事にも届くといいのですが……。
2021.01.28(木)
文=綿貫大介