夜中の3時や朝5時に練習せざるを得なかった
「スケーターはスケートリンクがないと練習ができないですし、スケートの感覚ってスケートでしか感じられないんです。子どものうちはリンクに乗れるだけ乗って練習するのが上達する一番の秘訣です。海外に比べて日本は、選手専用のリンクが少ない。環境を整えることで、世界はもっと広がると思います」
「私も子どものころ、一般滑走で練習していたんですが、だんだん一般のお客さんが増えてきて、ジャンプが禁止になり、貸し切りが取れても夜中の3時とか、朝5時とかで。これは体にもよくないし、怪我にもつながるということで、アメリカに練習拠点を移しました。
アメリカにはほぼ選手専用のリンクがあって驚きましたね。そこではいつでも練習ができました。その後入学した中京大学には、選手専用のリンクがありました。私がバンクーバー五輪に出られたのは、このリンクがあったからです」
「自分で何をするか決めなくてはいけません」
さて、真央リンクはどこにできるのか。
「場所は、スケーターのアクセスを考えるとやはり都内がいいのかなと思っています。都心は難しいと思いますが。今年発足した木下アカデミーのようにはいかないと思うのですが、子どもたちがワクワクしたりハッピーになってくれる場所ができたらなと。子どもたちが私を知っているうちに、一緒に滑ったりレッスンしたい。だからできるだけ早くリンクを作りたいんです」
実現性が高いと思う理由は、彼女が最後にこう言ったからだ。
「選手の時は常に目標があって、目の前の目標をクリア、またクリアという感じで自然に前に進める状態だったのですが、引退してからは自分で何をするか決めなくてはいけません」
浅田真央にとって、目標はクリアするもの。「真央リンク」構想を、いよいよ口にしたということは、もうそれは夢ではなく、実現へと進んでいるものなのだ。
ナンバー最新刊1015号の隔号連載、浅田真央「私のスケート愛」では、「真央リンク」構想とそれに懸ける熱い想いをたっぷりと語っている。
Sports Graphic Number 1015
(NBA, The Great Legacy 1990-2020
八村塁とスーパースターの時代)
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文藝春秋
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2020.12.02(水)
文=藤森三奈