右から浅野順子さんと、聞き手の近田春夫さん。壁にかかるドローイングは順子さん自身の作品。順子さんは1950年、近田さんは1951年に誕生しているが、近田さんは早生まれのため、同学年に当たる。 10代の頃の思い出をヴィヴィッドに語る浅野順子さん。 一見、ダメージジーンズのように見える順子さんの着ているつなぎだが、破れた穴のように見える部分も、ポケットも、実はすべてプリント。お洒落上級者である。 順子さんは、知人から譲られたというコーンスネークをアトリエで飼っている。名前は「さゆり」。ここに来た時の体長は約10cmだったが、現在は約130cmにまで成長した。 コーンスネークは、何度も脱皮を繰り返す。財布に入れておけば金運を招くとされるその抜け殻を、彼女は取材班全員に贈りものとして分けてくれた。 小さな木の椅子は、順子さんによるハンドメイド。 「クレオパトラ党」メンバーだった山口小夜子さん ©文藝春秋 「クレオパトラ党」メンバーだったキャシー中島さん ©文藝春秋 ゴールデン・ハーフは、1970年に「黄色いサクランボ」でデビューしたグループ。「チョット・マッテ・クダサイ」「ゴールデン・ハーフの太陽の彼方」など、洋楽カバーでも知られる。写真は、ファーストアルバム『ゴールデン・ハーフでーす』。 アトリエの壁や天井、家具などは、自分好みに塗り替えている。 浅野順子さん。対談は、彼女が日々創作に励むアトリエで行われた。本棚には、美術書がいっぱい。 ©平松市聖/文藝春秋 順子さんは1950年9月23日生まれ、近田さんは1951年2月25日生まれ。つまり同学年に当たる。©平松市聖/文藝春秋 アトリエには、順子さんの手がけた多種多様なオブジェが所狭しと並ぶ。©平松市聖/文藝春秋 10代の頃の浅野順子さん(本人提供) 10代の頃の浅野順子さん(本人提供) 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 アトリエの壁には、次男である浅野忠信の写真も飾られていた。©平松市聖/文藝春秋 米軍が駐留した終戦後の横浜ならではの思い出が、次々と鮮明に蘇る。©平松市聖/文藝春秋 アトリエには大きなサイズの作品も。 ©橋本篤/文藝春秋 順子さんの愛犬、ビスケット。来客が大好きで、取材中はスタッフたちの足元にさかんにじゃれついていた。©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 10代の頃の浅野順子さん(本人提供) 浅野順子さんと近田春夫さん。壁にかかるドローイングは順子さん自身の作品。 ©橋本篤/文藝春秋 一見、ダメージジーンズのように見える順子さんの着ているつなぎだが、破れた穴のように見える部分も、ポケットも、実はすべてプリント。お洒落上級者である。©橋本篤/文藝春秋 父・ウィラードさんがウォレットに忍ばせ、終生その身に携えていた順子さんの写真。©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©橋本篤/文藝春秋 浅野順子さんと近田春夫さん。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 アトリエの壁や天井、家具などは、自分好みに塗り替えている。©橋本篤/文藝春秋 小さな木の椅子は、順子さんによるハンドメイド。©橋本篤/文藝春秋 浅野順子さんが所属していた「クレオパトラ党」メンバーだった山口小夜子さん ©文藝春秋 浅野順子さんが所属していた「クレオパトラ党」メンバーだったキャシー中島さん ©文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©平松市聖/文藝春秋