80年にシャネルズ「ランナウェイ」が特大ヒット!

近田 その後、作詞家としての仕事は続いたわけですか。

湯川 いや、あまり頼まれることはなかったですね。80年になってシャネルズ(現・ラッツ&スター)の「ランナウェイ」を作詞するまでは、特筆すべきほどのものはなかったです。

近田 シャネルズのデビュー曲「ランナウェイ」は、どういう経緯でオファーが来たんですか。

湯川 あれは、パイオニアの同名のラジカセ「ランナウェイ」のCMソングだったんです。作曲を手がけた井上忠夫さん、後の井上大輔さんからのご指名でした。テンガロンハットをかぶった金髪の少年が大きなラジカセを肩に担ぎ、アメリカ大陸を横断する鉄道、アムトラックの列車に乗り込むシーンに似合う言葉を紡ぎ出せるのは湯川さんしかいないでしょうというご推薦があったそうです。

近田 それがまた、特大級のヒットを記録したと。

湯川 100万枚近く売れたらしいですね。その後、4曲続けてシングルに詞を提供することになりました。「街角トワイライト」という曲では、最初、中古のキャデラックのオープンカーに乗ったシャネルズのメンバーたちが、街をクルーズしてガールハントするような歌詞をつけてみたんですけれど、いざ歌わせてみたら、全然似合わない。まったく景色が見えてこないんですよね。

近田 その理由は何だったんでしょう。

湯川 それを探ろうとして、私、彼らの地元である大森の街を歩いてみたんですよ。それで、彼らのホームタウンは、家内制手工業の町工場がたくさんあるような、泥臭い世界だったんだと分かった。それじゃあ、キャデラックのオープンカーは似合わない、と。

近田 マーチンこと鈴木雅之は、デビュー後もしばらく、実家の町工場で旋盤工を続けてましたよね。他のメンバーも、歌手は副業だった時期が長いはず。

湯川 私は、男性が女性を「お前」っていう言葉で呼ぶのが嫌いで、それまで歌詞に使ったことがなかったんだけど、ここでは「お前」じゃないと京浜工業地帯の匂いが立たないと思って、初めて歌詞に盛り込みました。

近田 81年に発売された松本伊代のデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」もまた、作詞家・湯川れい子を代表する作品です。

湯川 あれは、曲よりも詞が先だったんです。

近田 意外ですね。筒美京平さんの曲って、メロディーが最初にあって、後からそれに詞をのせるケースがほとんどですから。

湯川 ビクターでピンク・レディーなどを手がけていらした有名なプロデューサーの飯田久彦さんから、伊代ちゃんの写真と彼女の声が入ったカセットを渡されて、「まずはスケッチを書いてください」と言われたんです。

近田 スケッチというのは、印象を綴ったごくごくラフなテキストってことですね。

湯川 はい。しばらくしたら、それをまったく直さないままに、メロディーがつけられて曲が出来上がってきました。

近田 だから、あの曲って何だか急に尻すぼみで終わっちゃう印象があるんだ! 当時、僕、京平さんに「手抜きしたんじゃないですか」なんて意地悪なこと聞いちゃったんだけど、詞先だから、単に尺が足りなかったのね(笑)。

湯川 なかなか珍しいパターンで完成した楽曲でしたね。

近田 京平さんって、洋楽の特定のナンバーをお手本に、それを換骨奪胎して曲を作るじゃないですか。「センチメンタル・ジャーニー」は、ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」が元ネタだとにらんでるんですよ。

湯川 そうですか? なるほど。

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