英語教師を定年退職、兼業だった俳優業に専念

――パトラさんは、香港で舞台俳優として活動したあと、1987年に米国に移住したとうかがっています。米国でも舞台に立っていたのですか?

パトラ 生計を立てるために法律事務所で働いていました。でも時折、香港から依頼を受けて、舞台に出演することもありました。当時の上司が本当に素晴らしい方で、1カ月から2カ月、長い時には半年ほど仕事を休ませてくださったのです。

――2003年に帰国し、演劇のキャリアを再開されたそうですね。

パトラ 香港では俳優の仕事だけで生計を立てられません。帰国した時、私はもう50歳だったので、そのような年齢では特に難しかった。最初は、生活費を稼がなければいけないので、舞台は諦めようと思ったのです。

 ですから教職に就き、高校で英語を教えていました。そのかたわら、副業として舞台出演も続けていました。そうすれば、生活費を確保しつつ、本当にやりたいこともできますからね。

――『これからの私たち』のレイ・ヨン(楊曜愷)監督は、2019年『ソク・ソク』(原題:叔・叔)で高齢のゲイカップルの愛と老いの問題を描いて高く評価されました。

 パトラさんはその中で、ゲイであることを胸に秘めたまま家庭を成した主人公の妻を演じています。夫がゲイであることに気づきながら何も言えない、抑圧された役柄でしたが、あれがスクリーンデビューだったそうですね。

パトラ 『ソク・ソク』のオファーをいただくまで、レイとは面識がありませんでした。レイが主人公の妻役を探していた時に私の知り合いに連絡をとり、その人が私を紹介してくれたのです。

 台本を読んで何度か話し合いを重ね、オーディションの結果、出演が決まりました。ずっと舞台で活動していたので、嬉しい気持ちと同時に緊張もしていました。

――同性カップルを演じている『これからの私たち』は、全く立場の異なる役でしたね。

パトラ 当時、レイから「小津安二郎スタイルで演じてほしい」と言われ、「なるほどな」と思いました。小津スタイルの根本にあるのは、繊細な感情の変遷を表現すること。『これからの私たち』は、『ソク・ソク』とはそんな感情の移ろい方が全く異なるという点では難しかったのですが、軌道に乗せられたあとは問題ありませんでした。

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