50歳で単身カナダに留学した光浦靖子さん。カナダで働くためのワークパーミット(労働許可証)を得るために通ったカレッジでの日々を描いた、カナダ留学エッセイ『ようやくカレッジに行きまして』の発売を記念して、エッセイ「英語のいいところ」を公開します。
英語の勉強は毎日欠かさず行っているのですが、全く成果は出ず。リスニングなんてさーっぱり。カナダに来てから毎朝、ポッドキャストで英語の子供ニュースを聴いています。朝5時、目覚まし止めた、スイッチオン。起きた瞬間から聴きます。留学生がよく言う「英語の夢」そんなものあたしゃ見たことなんて一度もありゃしませんよ。私は夢は絶対日本語で見ているので、夢の中で絶対日本語を喋り倒しているので、なぜなら朝は日本語以外口から出てこないので、一日の始まりは耳に英語をぶち込むことにしています。今日こそ英語が聞き取れるようになってますように、と祈りを込めて再生ボタンを押すのですが……聞き取れない。奇跡は起きないです。7、8分のニュースを聞き取れるまで何度も何度も繰り返します。着替えながら、コーヒーを飲みながら、バスに乗りながら、で、結局聞き取れないまま学校に着き強制終了。これが大体1時間30 分。朝だけでこれだけ頑張ってるのになぁ。
下手に外語大を出たものだから「喋れないなんてご謙遜を。我々とは目標が違いますから」と人から言われ、それをいちいち訂正するのが本当に面倒臭いです。「私は田舎の中流家庭出身で、留学したことも塾に通ったことも一度もないです。そもそも田舎に英語塾なんてないです。コンピューターのない時代、正しい発音の英語を聞くことは至難の業でした。ただただ暗記、学校の他に一日8時間の猛勉強で、読解100点、英作文100点、リスニング0点、典型的使えない英語で合格しました。そして合格の瞬間に一年漬けで得た記憶は全て吹っ飛びました。大学に入ってからは勉強についてゆけず、まともに通ったのは1年程度しかなく、卒業するのに8年かかりました。英語は全く話せません」コピペしてそこらじゅうにばら撒いておいてください。
先日はグループLINEで「まだ喋れないの? 日本人とばっかりつるんでるんじゃないの? 日本語禁止にしないと……」と英語の話せる外語大の同級生の一人から 言われました。 つるんでねーし。親の金で10 代のゆるゆるの脳みそで留学と、社会で長いこと働いて50 代のこちこちの脳みそで留学じゃわけが違うんじゃボケェ。あたしゃこうやって原稿書いてお金もらって生きてんだ。脳みそ日本語でいっぱいなんだよ。生活があるんだよ。悪いかボケェ。 これが自立した大人の女性の意見です。
英語が理解できない、これは生活するには非常に不便です。でも私には大きな利点もありました。日本語の時のように小さな言葉尻に引きずられなくなりました。ある時期、私は、人の言葉尻、言いよどみ、言い間違い、間(ま)、全てに裏の意味があるんじゃないか、と深読みし、気になり、家に帰り反芻し、もしかしたら私のことよく思っていないんじゃないか、いや、そうに違いない、と悪く悪く物事を捉えるようになっていました。少数のいつものメンバーとなら普通に話ができましたが、初対面の人、それほど親しくない人と話せなくなりました。え? 何? それはどういう意味? 話したら悲しくなるか怒ることしかできなくなりました。でも避けるわけにはいかない 商売、毎日悲しくなるか怒っていました。治したくてもどうにもできない。今振り返ると、大きな問題にならなかっただけ本当にラッキーだったと思います。
英語はその点いいです。半分以上聞き取れないし、理解できませんから。言葉尻どころか、たとえ嫌味を言われたとて気づけません。思いっきり汚物を見るような顔でFワードを使われたらわかりますよ。でも嫌味って大体笑顔でしょう? あえてその言葉をチョイス、などされたとて、あえてチョイスした変化球な単語なんて、私が知るわけないですからね。傷つきようがないのです。
大雑把に何言ってんだ?に集中するだけです。そして、大雑把にわかっただけでも嬉しくなります。私の答えが当たってて、会話が一往復増えただけで、本当に嬉しくて、嬉しくて。一回0点になると、あとは小さな小さな加点だけ。目にみえる進歩ですから。なんだろう、腹の位置がずんと収まる感じ。この道は間違っていないという感覚。これを自己肯定感と呼ぶのだろうか。もう何十年も味わったことのない感覚です。こんなことだったのか。こんなところにあったのか。きっと私は東京でいい仕事をしたことだって、成果を出したことだってあったと思います。でも100パー褒められることなんか絶対になくて、必ず一定数の批判、こき下ろしはあって、そこにとらわれてしまい、自分は何も成していない、何の才能もない、と心の底から思うようになりました。芸のある人らと一緒に名前が呼ばれることが恥ずかしかった。自分の方が芸歴が長いからって敬語を使われることが恥ずかしかった。自分のことを「偽物」と呼んでいた時期があります。今ならそんな光浦をヤスコが褒めちぎってやれます。あんた才能の塊じゃねーか。
英語サークルで仲良くなった友達が、先生が、クラスメイトが、シェフが私の仕事を聞いては褒めてくれます。「どんなテレビに出てたの?」「バラエティショーに出てたよ」「すごい。才能あるねぇ」「ドラマは?」「出たことあるよ」「すごい。本も書いてるんでしょ?」「うん」「インスタ見たけどあれ(手芸作品)、自分で作ったの?」「うん」「ヤスコは本当にたくさんの才能があるね。すごいよ」と。
どれもこれも広く浅く経験しただけで、どれも本物でない、なんて見方はしません。どれもこれもできるなんて、どんだけ才能あるんだよ、と見てくれます。もちろん、彼らは日本語はわかりませんから、私がやってきたことは何も知らないし、私がタレントとしてどのような位置にいるかなんて知りません。でもそんなことどうでもいい。私は彼らにそう言われて嬉しいし、それを真に受けていいじゃん、と思うようになりました。思うことは自由でしょう? 思うことまで人からどう思われるか気にしなきゃいけないの? なんだろう。自分が思うことは自分で選んでいいんだと学びました。これは間違っていないと思います。なぜなら私は生きるのがすごく楽になりましたし、努力はしてなくても、前の私より今の私の方が面白いですからね。ふてぶてしいですから。
だって、ふてぶてしい人って面白いじゃないですか。

ようやくカレッジに行きまして
2022年8月、公立のカレッジのプロのシェフを養成するコースに入学したヤスコ。2年のコースを修了して卒業証書を得ると、PGWP(Post-Graduation Work Permit)というカナダで3年間働く権利を得られます。英語を上達させたい、将来カフェを開くための勉強をしたい、そしてカナダで働いてみたい。様々な年齢や人種のクラスメイトと一緒に授業や実習で学び、課題に追われる日々。そこでは想像を超えた肉体的疲労、人間トラブルが巻き起こり……。50歳から新しい挑戦をし続けるヤスコの、元気と勇気をもらえる最新エッセイ!
定価 1,650円(税込)
文藝春秋
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