任された喫茶店がうまくいき始めた時に父が…
渡辺 それを聞いて、やっぱり、父はシアターの人じゃないんだと思いましたね。ビジネスの発想の源が、ミュージック&ムービーなんです。
近田 それってさ、日本における著作権ビジネスを切り開いてきた人物ならではの考え方だよ。
渡辺 ミュージカルを制作していたのは、渡辺プロダクションの子会社である渡辺エンタープライズだったんですが、私が社長を務めたこの会社は、その一方で、喫茶店の経営も手がけていたんですよ。
近田 ずいぶんと畑違いの業種にも手を広げてたのね。
渡辺 ええ。自分の好きなミュージカルをやるんだったら、それとセットで喫茶店もやれっていうことで、父にミッションを課されたんです。まあ、私が関心を抱いていたのはあくまでもエンターテインメントだったから、喫茶店の仕事は渋々引き受けたような形でした。
近田 その喫茶店って、どこにあったの?
渡辺 渋谷西武A館の中2階にありました。もともとは長年、「アイドルハウス」という名前だったんですが、ずっと閑古鳥が鳴いている有り様で、ギリギリのところで赤字だったんですよ。そこを私たち姉妹が受け継いで、カフェバー風に改装を施し、「サイドキックス」と店名も変えたんです。
近田 はいはい、サイドキックスね! 覚えてるよ。
渡辺 そこで、客単価だとか坪単価だとか、原価意識を学びました。コーヒー一杯の値段を決めるのに、どれだけいろいろなことを考慮しなければならないか。勉強になりましたよ。その後は、経営のために簿記3級を取ったりもしたんです。
近田 意外に地味な努力を積み重ねてたのね(笑)。
渡辺 その甲斐あって、喫茶店は上手く転がり始めたんですよ。千駄木にあったちっちゃなケーキの工場も買って、飲食事業にさらに力を入れ始め、ケーキをもっとたくさん卸すにはどうすればいいかなんて考えていた。そして、サイドキックスの2号店を出そうと思って、物件を仮押さえしたところで、父が亡くなったんです。
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渡辺ミキ(わたなべ・みき)
1960年、東京都生まれ。ワタナベエンターテインメント代表取締役社長。渡辺プロダクションの創設者、渡辺晋・美佐夫婦の長女として生まれる。日本女子大学在学中に舞台デビュー。1986年、渡辺プロ系列の渡辺エンタープライズ社長に就任、翌年、渡辺プロに取締役として入社。自らもプロデューサーとして辣腕をふるう。現在は、ワタナベエンターテインメント代表取締役社長のほか、渡辺プロダクション代表取締役会長、渡辺音楽出版代表取締役などを務める。
近田春夫(ちかだ・はるお)
1951年東京都世田谷区出身。慶應義塾大学文学部中退。75年に近田春夫&ハルヲフォンとしてデビュー。その後、ロック、ヒップホップ、トランスなど、最先端のジャンルで創作を続ける。文筆家としては、「週刊文春」誌上でJポップ時評「考えるヒット」を24年にわたって連載した。著書に、『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトルモア)、『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』『グループサウンズ』(文春新書)などがある。最新刊は、半世紀を超えるキャリアを総覧する『未体験白書』(シンコーミュージック・エンタテイメント)。
Column
近田春夫の「おんな友達との会話」
ミュージシャンのみならず、幅広いジャンルで活躍してきた近田春夫さんが、半世紀を超えるそのキャリアにおいて交遊を繰り広げてきた錚々たる女性たちとトークを繰り広げる対談シリーズがスタート。なお、この連載は、白洲正子が気心を通じる男性たちと丁々発止の対談を繰り広げた名著『おとこ友達との会話』(新潮文庫)にオマージュを捧げ、そのタイトルを借りている。
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- 文=下井草 秀
写真=平松市聖 - keyword










