晩年、もっと向き合ってやるべきだったと
――実際、書かれているような感じでスーッと行動できましたか。
村井 完全に、本の通りスーッと行動していました。訳の分からないスイッチが入っちゃってるので、ごはんも食べずにずっと動いて、ひたすらに兄の部屋を片づけて。泣くとか一切ない。アドレナリンが出てたんでしょうね。でもカレンダーの文字とか見ると、一瞬揺り戻されるんです。
――文字って、どんなことが?
村井 〇と×が付いていたんですよ。兄は警備員をしていたんですが、仕事がある日は〇で、ない日は×。亡くなる2日前まで〇が付いてて、「この人、2日前まで行ってたんだ」と思うと、ふと死よりも生が近くなってくる。兄の生きてた痕跡を前にすると感情が揺れることもありましたが、文章にするときはあえて削った、というのはあります。
――そこは、吐露したくない部分だったのですか。
村井 本の中で私、兄の履歴書を見つますよね。
――はい。しっかり働こうという意欲が丁寧に、そして自分の健康状態が実直に書かれていて、心打たれるものがありました。それまではちゃらんぽらんな描写しかなかったので、意外で(笑)。
村井 実はもう1枚、紙を見つけているんです。それは水道局が「水を止めます」という宣告の紙で、日付が亡くなった日の翌日だったんですよ。どっちを本に書こうかすっごく迷いました。両方だとしつこいし、水道のほうだけだと出来すぎだと思ったので履歴書のほうにして。吐露したくないというか、そういう調節はしています。悲しいという感情も抜きで書きました。
――悲しいという思いが湧くのはやっぱり……お兄さんから愛されたい、仲良くしたいという思いが底にあるから、ですかね。
村井 えっとねえ、うちの兄というのは人を疲れさせる人なんです。決して悪い人間じゃないんだけど、振り回す人。自己中心的でもあるし、パワーがある。強い力で人をひっかき回す人。だから、距離を取りたかった。遠くにいて「またやってるな」ぐらいの距離が。でもそれは今にして思うと、間違っていたなと思っています。
――どうしてですか。
村井 晩年、兄のほうが私にグッと近寄ってきたとき、もっと向き合ってやるべきだったと。完全に私は逃げていました。子どもも小さかったし、金銭的な要求にはある程度しか応えられなかった。やっぱりね、54歳なんて年齢で死ぬことはなかったな、と思います。世の中のこと、これからもっと楽しめる年齢だし、もっともっと面白いこと見たかった人だと思う。兄は私よりも本も読むし、映画も見るし、音楽も聴く、趣味の人だった。片づけに行ったとき、部屋にはオーディオとバイクの雑誌が山とあったんです。
お兄さんから逃げたこと、今お気持ちに「悔い」はありますかと村井さんに聞いたら、間髪おかず「もちろん」と返ってきたのが忘れられない。声のトーンが一段強くなっていた。「大きな悔いです」と繰り返して言われる。
「向き合ったからといって、良好な関係は築けなかったかもしれない。でも、いのちをもっと永らえさせてあげることは出来たと思う」と続けた。
「兄を終う上でかかった費用をまるまるあげていたら、治療も出来てあと5年ぐらいは生きたかもしれないでしょう」
そういって、村井さんはカラッと笑った。今話されたこと、お兄さんの遺骨に向かってきっと話されたことがあるんだろうなと、思えてならなかった。(後篇へ続く)
映画『兄を持ち運べるサイズに』11月28日(金)TOHOシネマズ日比谷他、全国公開
出演:柴咲コウ オダギリジョー 満島ひかり 青山姫乃 味元耀大
脚本・監督:中野量太
原作:『兄の終い』村井理子(CEメディアハウス刊)
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
https://www.culture-pub.jp/ani-movie/
村井理子(むらい・りこ)
1970年静岡県生まれ。翻訳家、エッセイスト。ユーモアに富み、近況を率直に日々発信するSNSも人気を呼んでいる。著書多数、近著には「ある翻訳家の取り憑かれた日常2」(大和書房)、「ハリウッドのプロデューサー、英国の城をセルフリノベする」(亜紀書房)などがある。
X:@Riko_Murai
聞き手・構成 白央篤司(はくおう・あつし)
1975年東京都生まれ。フードライター、コラムニスト。「暮らしと食」をテーマに執筆する。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)、『自炊力』(光文社新書)、『台所をひらく』(大和書房)、『はじめての胃もたれ』(太田出版)など。旅、酒、古い映画好き。
https://note.com/hakuo416/n/n77eec2eecddd

