『兄の終い』、という本がある。「終い」は「しまい」、と読む。疎遠もいいところの兄が急逝、後始末をすべて背負うことになった妹のすったもんだを描いたエッセイは現在10刷のヒット作となり、今秋には柴咲コウ、オダギリジョー主演で映画化される。著者である翻訳家でエッセイストの村井理子さんに、原作と映画への思いをうかがった。


やっぱりきょうだいって、切ろうと思っても切れないんです

――著作が映像化されるのは今回は初だそうですね。おめでとうございます。話が来たとき、どう思われましたか。

村井理子(以下、村井) すっごく、うれしかったんです。本にしたとき、心の片隅で「映像にならないかな」と実は期待していたんですよ。というのも、自分がこれまでに経験したことのないこと、見たことのないもの……つまりは兄の部屋とかが、映像化されて残ることがうれしくて。何も残らず死んだままと思うと、可哀想じゃないですか。

――可哀想という思いは原作の中でも語られますね。突然の最期を迎えねばならないほどの悪いことをしたのか……的に独白される。ただ原作本のオビに「憎かった兄」ともあり、また依存されて迷惑といった描写の印象も強烈でした。村井さんはお兄さんに愛憎半ばする思いがあったんでしょうか。

村井 その通りですね。やっぱりきょうだいって、切ろうと思っても切れないんです。どれだけ切ろうと思っても。遺体を引き取りにいかない選択もあったけど、それで「切れる」かっていうと切れない。無縁仏にしてもアパートは残るし、相続の問題もある。いつかは必ず私が行動しなければ「最期」にはならない。

――冒頭、警察から「お兄さんが亡くなった」と電話が突然来ますね。その瞬間って、どんな感じだったんでしょうか。

村井 忘れられないです、あの瞬間は。ザーッと耳の中で音がして、血の気が引いていくような感じ。実際血圧下がって、真っ青になっていたかもしれない。今でも電話からあの声が聞こえてきそうな気になるんですよ。警察の方が言ってることをとにかくメモするんですけど、後から読んでも何も読めない。めちゃくちゃ。でも児童相談所と、兄の元妻の加奈子ちゃんの連絡先だけ分かったんです。

――そんな混乱した状況から、「とにかく来てくれ」となって東北に向かう……。原作を拝読して、そこからの文章がとても整然と書かれているのも印象的でした。困惑や驚きをそのまま描くのではなく、あえてさらりと書かれる。

村井 読者の方には必ず、最初から最後まで読んでもらいたいという目標があったんです。兄の部屋の状態など、しつこく書きたいところもありましたが、それ以外はシンプルに削っていこうと。

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