取り乱した大家夫婦と“アカさん”の変化

 Oさんが指差した方を見ると、大家夫婦が顔を伏せたままフラフラと部屋から出てくるところでした。

 1階に降りた大家夫婦は、道の反対側で呆然と見つめるFさんたちを恨みがましそうに睨むと、おもむろにポケットから何かを取り出しました。

 それは真っ赤な口紅で、大家夫婦はそれを人差し指にべっとりとつけてから、唇に乱暴に塗りたくり始めたのです。

 一体どれくらいそうしていたのでしょう。ぐちゃぐちゃに崩れた口紅がなくなると、その残骸を地面に放り投げ、大家夫婦は自宅のある坂の上の方にフラフラと歩き去ってしまいました。

 血の気の引いた手足に感覚が戻ったのは、そばにいたOさんが肩を揺すったときでした。

「謝らないと……ダメでしょ、俺たちも謝らないと……」

 正気の沙汰とは思えない提案。

 ですが、そこには心の奥で納得してしまう説得力がありました。

 明かりもなく開け放たれたままの部屋の中。

 2人は下を向いたままクローゼットの前に座ると、深々と土下座をしました。

 心の中で何度も謝ってからそっと頭を上げると、隣のOさんはすでに頭を上げてクローゼットの奥を見つめていました。

「……すごいなぁ」

「はぁ?」

「育つんですね、この人形」

 薄暗いクローゼットの奥。

 綺麗に収まっていたはずの人形が、窮屈そうに首を傾げて座っていたのです。

 呆然と人形を見つめるOさんを見たとき、不意に『こいつ、きちんと心の中で謝らなかったな』。そう思ったそうです。

 Fさんは立ち上がると、もう一度深々とお辞儀をしてから逃げ出すようにOさんのアパートを後にしました。

 翌日、日が昇ってから自宅アパートの外に出ると、玄関扉の下、ちょうど膝丈あたりのところに、指でなぞったような赤い口紅を思わせる2本の線が引いてありました。

 同級生が聞いたところによると、結局Oさんは実家から迎えに来た両親に連れ戻され、例の部屋も引き払ったうえで、大学も中退してしまいました。

 その後、あのアパートには再び『入居者募集中』の看板が掲げられるようになったそうです。

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