「夫はすぐ泣いてました」がんを告知された時の家族の反応

――お子さんができたタイミングでの告知ということで、ショックも大きかったのでは。

橋本 まだ診断がつかなかった時は、「何かしらの病気だろうけど、まさか子宮を全部取るまではいかないよね」と楽観視していたというか、そんな未来を考えたくなかったんですよね。

 ただ、どんな診断であってもこの子を産む、という決断は変わらなかったです。

――子宮頸がんの告知は、パートナーの方と一緒に聞いたんですか。

橋本 そうですね。夫と一緒に説明を聞いて。ただ、医学的なことはその場ではちゃんと理解できなかったので、メモしたことを家に帰ってからいろいろ調べて、しばらくしてから自分に落ちてくるというか。ああ、もうそういうことなんだなとわかって、後から泣けてくるというか、ショックを受けた感じでした。

――病院ではお互いすぐに受け止めきれないような。

橋本 いや、夫はすぐ泣いてましたね。いつも夫の方が泣いてます(笑)。

「早く手術したいから、32~33週が限界です」

――告知を受けた夜、夫婦でした会話は覚えていますか。

橋本 海外では摘出よりも温存が主流らしいですが、日本で子宮温存治療に特化した外科医は多くなくて、とにかく子宮を残す方法はないかと、私はずっと調べものをしていました。で、夫はもうただただ泣いてるという(笑)。

 自分が一人っ子だったこともあって、子どもにきょうだいを産んであげたい気持ちが強かったのと、ギリギリまで赤ちゃんをお腹の中で育てたかったので、とにかく子宮を残したかったんです。

――子宮を摘出しないといけないほど事態は切迫していた?

橋本 もう診察に行く度にがんが成長してるような感じで、目に見えて大きくなっていました。

 お医者さんからも、「できるだけ赤ちゃんがお腹にいられるようにしたいけど、がんが成長して子宮とか他の場所に転移しないうちに早く手術したいから、32~33週が限界です」と言われました。

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