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 大切な祖母を亡くし、深い悲しみに沈んでいる主人公・楊洋(ヤンヤン)は台北から沖縄に留学することに。沖縄に暮らす人々、そして自分と同じ立場の留学生らと交流を重ねることで、自分が生まれ育った台湾の歴史に触れることになり、「自分」を取り戻していく——。台湾と日本をつなぐ物語『隙間』の3巻が発売になった高妍(ガオ イェン)さんに本作についての思いを聞いた。

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自分の受けてきた教育は、誰かにとって都合のいい物語かもしれない

──『隙間』は、台湾が背負っている悲しみに真正面から向き合っている物語です。読んでいると、高妍さんの気迫のようなものも感じました。執筆のきっかけを教えていただけますか?

 台湾で通っていた大学のある授業で、1947年2月28日に起きた「二二八事件※」について教えてもらったことが最初のきっかけです。台湾では「中国」のことを「大陸」と呼ぶことが多いのですが、それは蔣介石率いる国民党が、いつか中国共産党に打ち勝って、中国へ戻る日が来ると考えていたからだと知りました。「自分の受けてきた教育が正しいと信じてきたけれど、もしかしたら誰かにとって都合のいい物語を刷り込まれていただけかもしれない」と気がついて、すごくショックでした。それ以来、私はもう二度と「大陸」という言葉を使わないことにしました。そしてちょうどその時、二二八事件関連のデモがあり、思い切って参加したことで、台湾の歴史や、社会運動に対して興味を持ち始めたんです。もちろん、教科書などで学んだことはあったのですが、先生の話とデモ参加の経験がつながったことで、自分ごととして考えられるようになりました。

 その後『隙間』の主人公と同じように沖縄に留学して、そこで自分が生まれ育った台湾という場所について、どのように日本の皆さんに説明すればいいのか、という問題に直面して。母語を話すことを制限され、いつしか自分たちの文化を忘れてしまった……という点で、台湾と琉球の歴史がどこか似ていると思ったのに、日本語が拙いせいで、台湾のことを伝えられない。もどかしくて、くやしい気持ちを抱えていました。

 そのときに「いつか、台湾のことだけでなく、沖縄の問題も取り上げた物語を描きたい。自分の物語を通してみんなに伝えたい」と決意したんです。6年越しの思いが実現して、描かせてもらえることになりました。

※第二次世界大戦後の台湾では、中華民国政府の長年にわたる支配的な政治に不満を抱いた民衆が抗議デモを遂行。デモは武力鎮圧され、多くの死者が出た。

──高妍さんは、沖縄での留学を経験されて、今は日本に在住されています。台湾と日本の若者のあいだに、政治的関心のギャップは感じますか? 日本だと「これから一緒にデモに行こうか」という話題にはなかなかならないような気がします。

 もちろん、台湾の人全員が政治的関心が高いわけではないんですよ。政治のことについて考えたことがない人もたくさんいると思います。私が通っていた大学も7割くらいの学生が遊ぶことだけに夢中になっていたと思います(笑)。

──それはどこも同じなんですね。

 台湾のデモは、音楽フェスが一緒に開催されることも多く、気軽に行ける雰囲気はあるかもしれません。オープンな雰囲気があります。

 台湾の若者が社会運動に興味を持ち始めるようになったのは、2014年に起きた「ひまわり学生運動※」の存在が大きいと思います。当時、私たちの世代はまだ幼かったですが、大学生になったときに「ひまわり学生運動」について改めて学んで、「自分たちが守りたいことがあったら行動を起こそう」という気持ちになっている人も多いようです。

※台湾と中国の間の「サービス貿易協定」が強行採決されたことで、学生と市民らが抗議し、立法院を占拠することとなった社会運動。

──学生運動を通じて、実際に社会が変わったというのも、成功体験として同世代の若者に刻み込まれたかもしれませんね。

 そうですね。そして、台湾国内のニュースに対してだけでなく、タイや香港など台湾の外で起きた事件に対するデモが多く開催されていることも、台湾のユニークな点かなと思います。中国周辺のアジアの国々、とりわけ華語を話す国々の中では、台湾は唯一まだ自由が多い土地なので、香港から台湾に移住する方も多いです。

2025.04.11(金)
文=高田真莉絵
写真=平松市聖