「お屋敷……そこに住んでいるのは、どんな人なのかしらね」
「いやね、奈緒さん。住んでいるもなにも、そんなお屋敷が実在しているはずないじゃないの」
雪乃がコロコロと笑う。奈緒もわずかに微笑んだ。
「その噂の中には、カラスにまつわるものはない?」
「カラス?」
唐突な奈緒の問いに、雪乃はきょとんとしてから、「ああ」と納得したように頭上を見上げた。
「そうね、さっきからうるさいわよね。わたし、カラスも、この鳴き声も好きではないわ。真っ黒な姿は気味が悪いし、ギャアギャアという声も耳障りなんですもの」
「ギャアギャア……」
眉をひそめる雪乃の言葉を反芻するように呟いて、奈緒も再び視線を上に向けた。
青い空には先刻からずっと、ひときわ目立つ黒い鳥が旋回するように飛んでいる。森の上空を舞い、まるで何かを訴えるがごとく鳴き続けていた。
ギャア。
──耳を澄ませよ人の子よ。
ギャア。
──この声聞こえる者あらば。
ギャア。
──あやしの森へと来るがいい。
「嫌だわ……」
思わず口からこぼれ落ちてしまったその独り言を、雪乃は「気味が悪い」という感想への同意だと思ったらしく「そうよね、イヤよねえ」と頷いた。
本当に嫌だ。
……雪乃にはギャアギャアという鳴き声にしか聞こえないものが、どういうわけか、奈緒には「人の言葉」として聞こえるなんて。
気のせいだ。そうとしか思いようがない。きっと一時的に耳がどうかしてしまったのだろう。だったら雪乃に心配させないよう、ここは全力で何事もない顔を保たねば。
あれはただのカラスで、おかしな言葉など聞こえない。
「噂はともかく、森の中は暗くて危ないから、子どもたちも親からここへは入らないよう言われているの。奈緒さんも気をつけてね」
雪乃の忠告に、奈緒は朗らかに笑って「ええ」と返事をした。
「入ったりしないわ、絶対に」
空ではカラスがまだしつこく鳴いていたが、きっぱりと無視した。
第一話 烏に反哺の孝あり
2024.05.18(土)