『ミッシング』の撮影で「涙が止まらなかった」2つのシーン
――ご自身のキャリア設計として、より外に出ていきたいというビジョンはございますか?
はい。自分も色々な国の方に観ていただきたいですし、撮影にも参加したいです。自分自身もどういった表現ができるのかトライできる機会であり、足りないところは勉強させていただけるので、ご縁があるならどんどん外に出ていきたいです。いまやもう作品においては「国境」自体がどんどんぼやけてきているかと思いますし、外国の文化を知ることで日本の文化の特色を感じられる部分もあります。様々な国の作品に参加することは、自分にとってはいいことだらけです。
――「親になる」「各国の作品に参加する」といった経験やステージの変化を通し、青木さんの「演じる」ことへの意識にも変化はあったのでしょうか。
それはあると思います。『ミッシング』においては石原さんとも「独身のときには受けられないし、受けたとしても表現としては稚拙になった気がする」という話はしました。それがいい/悪いではなく、表現として溢れるものや親になる経験を通したからこそ向き合える特殊なものが間違いなくありました。
母親は肉体的な変化も大きいため、精神的な変化の度合いも父親に対して圧倒的だと思います。石原さんが現場で向き合った不安や覚悟を横で見られたことは、本当に大きな財産になりました。ここまで「子を想う」のか、ということでしたり、親としては最もつらい状況を表現する際の集中力は凄まじかったです。
――青木さんのソロパートですと、豊が駐車場の端っこでタバコを吸いながら涙ぐむシーンは一人の父親として感情を抑えきれませんでした……。
あのシーンは大変でしたね。というのも、リハのときからもう涙があふれて仕方なくなってしまったんです。シーンの方向性としては、涙に移り変わる瞬間が欲しいわけですからスタート時から泣き腫らしているわけにはいきません。とにかく気持ちを入れないように「フラットに、フラットに」と言い聞かせていました。
あのシーンの豊の動きとしては、沙織里と口論になってしまい「ここまで運転してきたのにな」などと思いながら駐車場傍の喫煙所までやってきて、娘の美羽と同じくらいの娘を連れた家族を見かけて涙ぐむ――といったものです。撮影前のセッティング中の時間は「まだ、まだ」とあまり考えないように努めていました。僕自身がまだまだこうした経験が少ないため、「こうやれば本番にちゃんと合わせられる」という理論がまだ固まっていないのです。そこでセッティングが完了するまでは道端の花を触ったりしてなるべく意識をそらしていました。
だから逆に、そのシーンの撮影が終わって「やっと泣いていいんだ」と我慢せずに号泣するような形でした。終盤に豊が涙するシーンがありますが、カットがかかった後も涙が止まらず、「お疲れ様でした」と車に乗ってからもずうっと泣いていました。そのとき「自分は、この作品にちゃんと向き合えていたのかもしれない」と感じました。
2024.05.17(金)
文=SYO
撮影=榎本麻美