この記事の連載
日本最大級の灯台
![足摺岬灯台(高知県土佐清水市)。海面から灯火部まで60メートルの灯台。高さ18メートル。わが国でも最大級の灯台のひとつ。老朽化のため昭和35年にロケットをイメージして改築された。](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/0/d/-/img_0de2c893d1fa5601a9428f0a4931b711248011.jpg)
足摺岬灯台の初点灯は大正三年。昭和三十五年に改築された現在の灯台は先端部分がずんぐりとして、レンズ室を囲むバルコニーから地面にかけ、帯状の壁が連なっている。この独特な形は地域発展や世界平和への願いを込め、宇宙を目指すロケットを模って選ばれたもの。ただ、本灯台の特徴はそれだけではない。
さすがは元灯台守だけあって、松田さんは慣れた様子で細い鉄のハシゴを登って行かれる。おっかなびっくり、手すりにすがるわたしとは大違いだ。
![灯台内部の急階段。](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/7/7/-/img_775c0fce1249810df4fd69b1ae07fbff169809.jpg)
灯台の高さは、十八メートル。だが断崖絶壁の上に建つために、海面から灯火部までの高さは六十メートルを越える。そんな恵まれた立地ゆえ、足摺岬灯台が守るべき海の範囲は広く、光度四十六万カンデラのレンズの光達距離は三十八キロ。日本でも屈指の大灯台だ。
松田さんに勧められて外に出れば、吹き飛ばされるんじゃと不安になるほど、風が強い。ひゃああと我知らず洩れた声までが、あっという間に海の彼方へと吹き飛ばされていく。
わたしは決して高所恐怖症というわけではない。しかし己が今、どんな場所にいるかを肌で体感し、ついつい手すりを握る手に力が入った。
![灯台内部の急階段を昇った先には、大きなレンズが鎮座している。光度46万カンデラ。光達距離38キロメートル。大正3年に点灯されて以来、沖を行きかう船の安全を見守り続けている。](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/5/1/-/img_51c92101b64d095c9aecc300213a98f5218260.jpg)
足許を見下ろせば、波が激しく岩を叩いている。なにせ海面まで、約六十メートル。二十階建ての建物から下を見ているようなものだ。だが海面から目をもぎ離し、海へと長く突き出した足摺岬側を振り返った瞬間、私の恐怖は吹き飛んだ。凶暴なまでに明るい緑が岬を覆い、そのところどころに金剛福寺の伽藍や駐車場が顔を出している。くすみ始めた夏陽に照らされた緑の翻波に、思わず目が釘付けになった。
「あのあたりに我々の宿舎がありました。今はもう、緑に飲み込まれてしまいましたが」
と、岬の一角を指さす松田さん。もっともあまりに風が強いせいで、「この光景を毎日見てお過ごしだったんですね」と聞くわたしも、そうですとお答えになる松田さんも、半ば怒鳴りながらのやりとりだ。
松田さんが足摺岬灯台にいらした頃には、この土地には気象台の観測所もあった。その跡地もいまは松田さんの宿舎同様、繁茂する南国の植物のただなかに埋もれているという。
![踊り場から眼前に広がるのは、太平洋の大パノラマと足摺岬の壮大な絶景。](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/b/f/-/img_bf170a615898148dcfff41417e62a349138857.jpg)
プライバシーの問題があるので詳述は避けるが、松田さんは実は足摺のご出身ではない。初任地だったこの地にゆえあって縁が生じ、海上保安庁職員として全国を転々となさった後、足摺岬に戻られたそうだ。
「僕たちは今日はこの後、松田さんの宿に泊まります」
奥山さんと土居さんが仰るのに、いいなあとつい声が出た。
次回、この地にうかがった時は必ずお世話になろうと、松田さんの宿のお名刺を頂き、大切に名刺入れにしまい込んだ。
2024.04.04(木)
文=澤田瞳子
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年3・4月号