ディープな音楽ファンであり、漫画、お笑いなど、さまざまなカルチャーを大きな愛で深掘りしている澤部渡さんのカルチャーエッセイ連載第9回。仕事の後、神戸に足を延ばした澤部さんは、連載1回めに書いた最愛の漫画を追って街を彷徨うお話です。
関西でのプロモーションを終えた私は、締切を抱えながらも大いなる決意のもと、神戸に宿をとった。神戸は私にとって憧れの場所。理由としては単純で、この連載の初回でも紹介したが、私が今みたいに漫画を読むようになったきっかけになった作品に『神戸在住』(木村紺)があり、その影響だ。心に休みが必要だよ、と思い切って延泊することにしたのだった。
神戸のホテルで目を覚まして、服を着替える。夕方には大阪に戻らないといけない用事ができたので時間は限られていたが、私にはやりたいことがあった。『神戸在住』には、長田にある自宅から須磨まで散歩に出かけた主人公・桂が、たまたま先輩である友田さんに出会った冬のある日を描いた回(4巻・第36話「冬、須磨にて」)がある。私はこの回が大好きなのだが、私の人生において私だって桂のようにふらっと歩いて「長田からここまで!? 健脚ねえ」と友田さんに言われるようなことがあったっていいだろう、とずっと思っていた。だとしたら今日はそれを実行に移す日だ。私のためにあつらえたような曇天が心地よい。まず「長田」とGoogle Mapに打ち込み、経路を検索してみると、今いる三宮からだと阪神電鉄の「高速長田」という駅から歩くと近い、ということがわかった。高速長田のホームについてみると、とても古く、静まり返っていて、はしばしに私が育った都営三田線の幻影を見た。駅から降りると、なんてことなくただ街が広がっている。そこから長田神社に向かって歩いてみる。店がある、車が過ぎていく、橋がある、当たり前の連続である。10分ぐらい歩いただろうか、神社の前には古い本屋があり、覗いてみると私が帯にコメントを寄せた『ひらやすみ』(真造圭伍)の新刊が並んでいて、なんだか少し緊張した。太宰治の『斜陽』を購入。『神戸在住』の作中に登場する一冊だ。多感な時期だったから、当時『神戸在住』に出てくる本をいくつか読んだのだけど、なぜか一番とっつきやすそうな『斜陽』を読んだことがなかったのだ。カバーをかけられた文庫本を、お守りのように鞄の中にしまった。
2024.06.06(木)
文=澤部 渡
イラスト=トマトスープ