車で最寄り駅まで迎えに来てくれていた夫と、腹を立てた表情の私と、困った表情のままの母が家に辿りついた。母の到着を待っていた義父と義母に挨拶すると、母は静かに子どもたちと遊びはじめた。私が急ぎの仕事をする間に洗濯をしてくれ、すべて干してくれた。義母がどうしても母とお酒を飲みたいと言い、母を連れて夫の実家に移動した。
夜中に母は私の家に戻り、そのまま一泊し、朝早くに帰ると言った。そして「静岡駅までの行き方を教えて」と私に頼んだ。来ることができたのだから、帰ることもできるはずなのにと不思議に思いながらも私は紙に最寄り駅から京都駅、そして京都駅から新幹線で静岡駅に戻る方法を書き、母に手渡して最寄り駅で母を京都駅行きの電車に乗せ、別れた。母が私の家に来たのは、あとにも先にも、その一度きりだ。母とは、幼いときに出かけて以来、ふたりで行動することも旅に行くこともほとんどなかった。
後年わかった、母の秘密
母の秘密がわかったのは、最近になってのことだ。従姉妹と話をしていて、ふと気づいた。母は私の家に来るのが面倒でキャンセルを重ねていたわけではなく、新幹線に乗った経験がほとんどなく、その日になると不安になり、やっぱりやめると言い出していたのだ。ひとりで遠方まで移動することに不安を抱えていたから、私との約束を反故にし続けていたことに気づき、私が迎えに行くべきだったと悟った。
これに気づくとすべての辻褄が合う。彼女の行動範囲は極端に狭い。電車で数十分の距離の町に行くのでさえ、年に一回程度なのだ。それよりも遠くに行くことはめったになく、その際は友人に頼んで車で行くことが多かった。彼女の人生はすべてあの狭い港町に集約されていて、あの場所にいれば彼女は、一応は安心して過ごすことができた。友人に囲まれて暮らしていたから、互いに助け合い、生きていくことができた。
そこからあえて出ようとすれば、相当の重圧がかかる。勇気を出して飛び出そうとしても、当日になると不安が募る。だからキャンセルする。年齢を重ねれば重ねるほど、その傾向は強くなったはずだ。行きたい気持ちはとてもある。でも怖かった。その状況に気づくことができなかった私が未熟だったのだ。
2023.11.22(水)
著者=村井理子