この記事の連載
配信プラットフォームが活況を呈し、テレビの観られ方が大幅に変わりつつある今、番組のつくり方にもこれまでとは違う潮流が勃興しています。その変化の中で女性ディレクター/プロデューサーは、どのような矜持を持って自分が面白いと思うものを生み出しているのか。その仕事論やテレビ愛を聞く連載です。今回は「世界の果てまでイッテQ!」や「笑神様は突然に…」など、日本テレビの人気バラエティ番組を立ち上げ、現在はドラマづくりに取り組んでいる松本京子さんに話を伺いました。
「友達に好きな芸能人を聞いては、その人と友達が恋愛する小説を書き下ろして…」
――以前、担当されたドラマ「獣になれない私たち」(2018年)に関する松本さんのインタビューを読んで驚いたんです。入社以来17年間バラエティ畑に在籍され、「世界の果てまでイッテQ!」(以後、「イッテQ!」)や「笑神様は突然に…」「満天☆青空レストラン」などを立ち上げながら、実はずっとドラマを作りたかった、とおっしゃっていて。超人気番組を手掛けたプロデューサーがもともとバラエティ志望ではないことにすごく興味を覚えました。別のインタビューによると、入社当時は「ドラマはもっと人生経験を積んでからじゃないと」という空気があってバラエティへ配属になったそうですね。
そうなんですよ。入社試験のときから「ドラマにいきたい」とずっと言っていたのに、いざ入ったら「バラエティ班」に配属されていて「嘘でしょ!?」って思いました(笑)。
――そもそもテレビ局志望ではあったんでしょうか。
というよりは、何かエンターテインメントを作りたいとずっと思っていました。一人っ子だったので家に遊び相手がいなくて、物心ついたときから何かを作ることが自分にとっての遊びだったんです。小学生の頃は架空のニュースを書いた新聞を作ったり、夏休みの自由研究で童話を書いたり、中学・高校になると友達に好きな芸能人を聞いて、その人と友達が恋愛する小説を書いてプレゼントしてました。
――夢小説じゃないですか! それは友達にさぞ喜ばれたのでは(笑)。
すごい感謝されました(笑)。ずっとそういう生活をしていたので、大学で就職活動の時期になっても「私は多分、社会人になってもこの趣味を続けるな」と思ったんです。じゃあ仕事になったら一石二鳥だと考えて、出版社やラジオ局などいろいろ受けました。その中で日本テレビに受かってここに至っています。
――ただしドラマではなく、バラエティという想定とは違う畑へ行くことに。
でも制作部門には入れたし、面白いことは大好きなので「じゃあ人生経験を積んで、将来ドラマにも活かせそうな番組にいこう」と切り替えました。最初にがっつり関わったのが「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」ですね。すごく楽しくて、ディレクターとしての基礎も全部学ばせてもらいました。
――当時の現場というと大半が男性だと思いますが、その中でやりづらさはありましたか?
日本テレビの同期は男子と女子が3:1くらいでしたが、女子の中で番組制作を希望して入社したのは私一人でしたね。女性は少なかったですけど、作るものが面白いかどうかに男女は関係ないじゃないですか。そういう意味では、「お前のアイディアは面白いけど、男のあいつの企画を通す」というようなことはなかったと思います。
ただ、以前この連載でも話に出てましたが、「女性の間で最近流行っていることを教えて」みたいな役割で特番に呼ばれたりすることがあって、それは嫌だなと思ってました。女性の情報を知るための役割に限定されている感じがして。自分が発言することで選択肢が広がるならいいかなと思いつつ、ちょっとモヤッとはしてましたね。
――「その役割のためだけにいるわけじゃないんだけど」と思う場面ですね。ディレクターからプロデューサーへはいつ移られたんですか?
5年目です。当時日本テレビが絶好調でレギュラー番組がどれも長く続いていたんですが、珍しく新番組が立ち上がることになりまして。上司だったチーフプロデューサーから「滅多にないチャンスだから経験したほうがいい。ディレクターとしてじゃなく、プロデュース部として関わったほうがいろんなことを知れて面白いよ」と言われてAPを務めることになりました。かなり若くして配属されたと思います。
――プロデューサーとして初めて通したのはどんな企画だったんでしょう。
「食」をテーマにした番組でした(「たべごろマンマ!」2005〜08年)。1社提供番組で、提出された企画の中からスポンサーさんがフラットに選ぶといわれたんです。過去の実績や経験値とは無関係に、とにかく面白かったら選んでもらえると聞いて「よし」と思いましたね。当時30歳くらいだったかな。
その頃は高級志向の料理番組が多かったので、逆をいこうと考えました。そこで私の中の財産は「笑ってコラえて!」での経験だと思ったんですね。ロケに行くと地元の方が作った野菜や獲れた魚で料理を振る舞ってくれて、それを私たちスタッフが「おいしい!」と食べるのを見て喜んでいる顔が強く残っていたんです。それを思い出して、いわゆる家庭料理で使う普通の食材を地元の方がどう料理して食べているか、グルメでもなんでもない若者が現地に行ってどんな風に食材が育っているかを知り、その場で美味しいものを食べて、みんなが笑顔になる番組にしよう、と。この企画が選ばれた時に、やっぱり自分の個性ややりたいことって、今までの経験や思いの中から生まれてくるんだとすごく感じました。
2023.07.31(月)
文=斎藤 岬
写真=深野未季