この記事の連載
配信プラットフォームが活況を呈し、テレビの観られ方が大幅に変わりつつある今、番組のつくり方にもこれまでとは違う潮流が勃興しています。その変化の中で女性ディレクター/プロデューサーは、どのような矜持を持って自分が面白いと思うものを生み出しているのか。その仕事論やテレビ愛を聞く連載です。今回は「ネプリーグ」や「THE MANZAI」など、フジテレビの看板お笑い番組を手がけたのち、現在は部長職企画担当として活躍する、北口富紀子さんに話を伺いました。
伝説のテレビプロデューサーに影響を受けた新人時代
――「ネプリーグ」「ハモネプ」「AI-TV」などのプロデューサーを経て、現在は部長職企画担当という役職につかれています。具体的にどんなお仕事をされているのか、教えてください。
マネジメントの立場として部下を育てることと、新しい番組が立ち上がったときには現場を観るのと、両方の役割です。でもいちばんの仕事は、これまでの25年間の中で培った自分の知識や人脈を全部部下や後輩の番組作りに活かすことだと考えています。昨年6月に異動したのでもうすぐ1年になりますね。バラエティ制作センターには部長職企画担当は3人いて手分けしているんですが、正直、目が回るほど忙しいです(笑)。
――入社は1998年です。もともとテレビ志望だったのでしょうか。
そうですね。大学でもマスコミ専攻でした。私たちの世代はみんなそうだと思うんですが、ずっとテレビっ子だったんです。子どもの頃からお笑い番組が大好きで、特に「オレたちひょうきん族」を観て「フジテレビ、いいなぁ」と思っていました。入社試験の三次面接で三宅恵介さん(「オレたちひょうきん族」などを担当)が出てきたんですよ。「『ひょうきん族』が大好きで、ああいう番組をつくりたいです!」って言って、最後に握手もしてもらいました。
――当時のフジテレビはどんな雰囲気だったんでしょう。イケイケな感じですか?
すごくイケイケでしたね。「とんねるずのみなさんのおかげでした」があって、「めちゃ²イケてるッ!」も始まっていましたし。三宅さん、片岡飛鳥さん(「めちゃ²イケてるッ!」などを担当)、現社長の港浩一さん(「とんねるずのみなさんのおかげです」などを担当)、今はBSフジ常務の荒井昭博さん(「森田一義アワー 笑っていいとも!」などを担当)……スター選手のような先輩方がたくさんいて、それぞれがトップの班制度があったので、班同士がライバル心を持って切磋琢磨することでいろんな番組が生まれていたと思います。
――今あげられたスタープレイヤーの方々はみなさん男性ですよね。北口さん自身はそういった先輩方をロールモデルに、それこそ班を統括する立場になるようなキャリアプランをイメージしていましたか?
それは全然なかったですね。楽しいことをしたい、おもしろい番組を作りたいというだけでした。私は常田久仁子さん(テレビ界の二大女性プロデューサーと呼ばれ、80歳過ぎまで現役で活躍)にすごくお世話になったんですよ。三宅さんの師匠にあたる、テレビの草創期を担ったような方です。2010年に亡くなられましたが最後につくられた「おそく起きた朝は…」(1994年〜/現在は「はやく起きた朝は…」)では今でもお名前がクレジットされています。
私が「おそく起きた朝は…」のADをやっていた頃に、社内報で局長たちが自分の社歴を振り返って影響を受けた方の名前をあげる企画が載ってたんです。10数人しかいない局長のうち、2人が常田さんの名前を書いていて。それを読んで「やっぱりすごい人なんだ」とますます憧れましたね。常田さんに出会ったことは本当に大きくて、プロデューサーたるものどうあるべきか、「この男性社会で女性として頑張って生きていく」ということをいろいろと教えていただきました。
――特に憧れたのはどんなところですか?
常田さんは男勝りな方で、それでいていつもすごくおしゃれだったんです。お年を召されても「女性は首元にいちばん年齢が出るから」と毎日素敵なスカーフを巻いていらっしゃって、そういうのを忘れない感じが本当に大好きで。だから私は新入社員時代から収録がない日はヒールを履いて会社に行っていましたし、ADのときも時間を見つけてエステに行ったり、みんながスタッフルームで椅子を並べて寝ていても「絶対嫌だ、こんなところで寝たくない」と思って会社の目の前のホテルに泊まったりしていました。
――男性が多い職場だと、そういうのを気にせず振る舞うとコミュニティに溶け込みやすくなるところがありますが、そこで自分を通されたんですね。
もう、絶対嫌でしたから!(笑)男の先輩には「お前、なんでヒール履いてくるんだ」って怒られもしましたけど「いや、崩さない!」と思っていましたね。もちろん女性社員は少なくて自分のほかに先輩が2人いただけでしたけど、その中で常田さんのように若い頃から第一線で活躍されている方がいたので、あまりマイノリティみたいな感覚はなかったです。
2023.04.21(金)
文=斎藤 岬
写真=平松市聖