この記事の連載

 配信プラットフォームが活況を呈し、テレビの観られ方が大幅に変わりつつある今、番組のつくり方にもこれまでとは違う潮流が勃興しています。その変化の中で女性ディレクター/プロデューサーは、どのような矜持を持って自分が面白いと思うものを生み出しているのか。その仕事論やテレビ愛を聞く連載です。

 今回は、『世界ウルルン滞在記』『Wの悲喜劇~日本一過激なオンナのニュース~』などの番組を手がけ、『Wの悲喜劇』内の企画「今だからこそメディア業界のセクハラ問題を考えようSP」に当事者として出演しテレビ業界におけるハラスメントについて語った、制作会社「テレビマンユニオン」所属のプロデューサー・津田 環さんにお話を伺いました。(前後篇の前篇/後篇を読む


「女にテレビは作れない」と言われ続けた

――津田さんはもともとテレビ業界を志望されていたんですか?

 大学のときから映画が好きで、映画・テレビ問わず、映像関係の仕事につきたいと考えていました。大学卒業後、映像関係のスキルを学びたくてフランスに留学したんですが、卒業後すぐに就職しなかった理由として、当時は就職氷河期だったというのがあります。でももうひとつ、学生時代に映画制作の現場でアルバイトをしたことも関係していて。

 アルバイトしていた現場がもう、めっちゃくちゃマッチョだったんですよ。「映画を作るのに、こんなに男社会である必要はあるのか?」って違和感がすごかった。それで「これはダメだ、今すぐここに入ってもいいことはないな」と思って、外の世界を見てみることにしました。

 フランスとスペインで合計4年過ごして、うち2年間はがっつり映像の勉強をして、面白かったです。フランスでは日本のように「男だから」「女だから」ってことがまったくなかった。

――そして帰国後、テレビマンユニオンに派遣社員として入られています。

 派遣からスタートして、当時でいう番組契約(編注:番組単位で契約する業務委託形式)、期間契約社員を経て正社員になりました。最初の1~2年、男性プロデューサーやディレクターから「女にテレビは作れない」ってとにかく言われ続けました。

――のっけから“洗礼”が……。そう言われて反骨心が芽生えたんでしょうか? あるいは落ち込んだのでしょうか。

 どっちもですね。「そんなはずないじゃん。なんでこんなこと言われ続けないといけないんだ」って悔しさはもちろんありました。だけど業界に入ったばかりで立場は低いし、大きな番組を手掛けてきたおじさんから「お前なんて仕事できねぇんだよ」って言われたら、言い返す材料がないから「そうなのかな」って思っちゃいますよね。

 今になってみれば、もしそういうことがなかったらもっと早い段階で企画をいろいろ出したり、もっと違う番組を提案できたりしたんじゃないかな、と思うんですが。

――最初に関わったのはどんな番組だったんですか?

 最初に私が採用されたのは『世界プチくら!』(ABC)って番組でした。世界のいろんな街に女子が1人で行って「暮らすように旅する」っていうコンセプトの、女性向けの内容で。にもかかわらず、初めて会議に行ったら会議室にガーッと男が並んでいて、女子スタッフは後ろの席に座らされて「一言も発言しないでね」って言われたんですよ! びっくりしました。なんのために採用されたのか、よくわからなかった。

 この番組はいろいろあって2カ月くらいで終わっちゃうんですね。だけど、たったそれだけの期間でもセクハラやパワハラはあった。「日本のテレビって、まだこんな感じかぁ」と当時ですら思ってました。

――そこで幻滅して「この仕事は辞めよう」とは思わなかったんでしょうか。

 就職氷河期だったし、今みたいに第二新卒なんてなかったですからね。それに、私みたいに留学帰りの人間は特に就職先がなかったんですよ。辞めたら親も泣くし、とりあえず今ある仕事を続けよう、と思ってました。

2024.11.07(木)
文=斎藤 岬
写真=杉山拓也