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“女の企画”がぶつかる壁
――『世界ウルルン滞在記』(TBS系/1995~2008年)に長く携わっていらしたんですよね。そこではどんな業務を?
海外ロケを手配したり管理したりするアシスタントプロデューサーから始まりました。これまでやっていた人が産休に入るからということで、呼ばれて行って。番組が終わるまで5年ほどやりましたね。
――お仕事の中で楽しさややりがいを感じる場面はありましたか?
番組づくりに関してはもちろんありましたよ。どういうふうに番組ができていくのか、すごく勉強になりました。
私たちプロデューサーというのは、場を整えてシチュエーションを作る係なんです。どこに誰をぶっこんだらどういうドラマが生まれて面白くなるかを予測する。『ウルルン滞在記』なんてまさにそういう番組じゃないですか。どの国のどんな厳しそうな環境に誰をぶっこむかという話なので(笑)。しかもトラブルばっかり起きるんですよ。思ったようには絶対にいかない。そういうときの対処の仕方もすごく学びました。
だけど、ひどいこともいろいろあった。それこそ、言えないようなことも(苦笑)。その狭間にいつもいましたね。
――若手の頃に「こういう番組を作りたい」と企画を出されたことは?
あるにはありました。企画コンペで、300本の中から1位を獲ったこともあった。だけど、“女の企画”は難しいんですよね。通ったとしても、その先で壁にぶつかるんです。結局、一緒にやってくれるスタッフが男性だと、話が通じないことが多いから。
そのときに私が出したのは、「女の子が4つの大切なものを持って一人旅に行く」という企画でした。私はナレーターを男性にしたかったんです。男性が女の子の一人旅を見て「へー、こんなことするんだ」みたいに見守るトーンを想定していて。それを男性スタッフたちにすごい否定されたんですよ。「お姉さんが若い子の下手くそな旅を叱るトーンにしたい」って言われて「えぇ!?」って。「いや、そういうイメージじゃないんです」って説明しても、ダメでしたね。
いつもそういうことが何かしら発生するんです。たとえば、「女子向けの心理テストの番組をやってくれ」って言われて企画書を書くところから関わった番組でもぶつかりました。「心理テストを受けるゲストの年齢や離婚歴を、テロップで全部出せ」って言われたんです。「そういう情報がなかったら、どういう人かわかんねぇだろ」っておじさんプロデューサーが言うわけですよ。「は? ダメですよ、そんなの」って言い返したらめっちゃ怒鳴られて。
――普通に「ゲストに失礼だろ」という感じですが……。
失礼ですよ。一緒にやっていた女性ディレクターもそう言ってました。結局、おじさんプロデューサーは怒って帰っちゃったんですけど、翌日になったら「帰って嫁に話したら『そんなのダメだよ』って言われちゃってさ~。だから、テロップなしでいいよ」って言われて。もう、ずっとそういう戦いなんですよね。
2024.11.07(木)
文=斎藤 岬
写真=杉山拓也