山本一力の『ほかげ橋夕景』でのテーマは、引き継がれてゆく親子の思いと下町の人情風景、である。それはおきち夫婦からおすみへと受け継がれ、そして近く所帯を持つであろう、おすみ夫婦からまたその子へと、時代を経て繫がっていくことを思わせる。ラストが印象深い。

 肩に担いだ道具箱が、軽やかにカタンッと鳴った。

 おすみは紅だすきに手をかけた。

「肩に担いだ道具箱が、軽やかにカタンッと鳴った。」で終わってもよい。けれど、おすみが紅だすきに手をかけるという姿を描いて、さらに次に続いていく流れを作っているところが山本一力らしい。

 この手法は、長宗我部元親の家臣であった、波川玄蕃の内乱を描いた『朝の霧』の最後の場面にもでてくる。夫の玄蕃、それにわが子までも兄である元親に殺されて、失意のどん底に落とされた養甫が、焼け落ちた玄蕃の城影を映す仁淀川の河原の小石を、たもとに入れる、という動作と、「明日もまた、石を拾いに参ります」という養甫の言葉で、この小説は終わる。この幕切れの演出は、余韻を残す。

『藍染めの』は、伊勢型紙彫り職人である佐五郎の一途な愛が描かれている。親方の娘さゆりは「白桃のような甘い香り」を漂わせている美しい娘。だが、不幸にもその娘は、佐五郎ではなく、商品を納めている吉野屋の息子に恋心を抱いている。さてこの苦しい恋のねじれをいかに解いてゆくか。むろん娘の父親である親方はしきたりに厳しい職人中の職人である。山本一力はこうした人物を描くのが得意だ。そして、その下町の人々が作り上げていく世界が、また心地よい。

 最初に山本一力の作品に私が出会ったのは、直木賞を受賞した『あかね空』である。徳川将軍のお膝もと、「貧乏人が助(す)けあって暮らす町」である深川に関西訛りの大柄な男、永吉が突然やってきて、京豆腐を売り始める。冒頭の長屋の情景描写から、切れのよいタッチで物語は進んでゆく。まるでそこに舞台のセットがあって、人情深い人々が相次いで登場し、粋な芝居が眼前で繰り広げられていくような筆致が気に入って、一気に読み進んでしまった。そのうえ、亀戸天神で迷子になり、その行方がわからなくなってしまった息子を永吉にかさね、そっと陰から永吉の手助けをし続ける相州屋夫婦の存在をはじめ、大団円に向かう幾重にも計算された筋立てには泣かされた。ディテールもきっちりと書き込まれている。卓越した構想力が感じられる、すごい作家が出てきたと思った。

2023.06.30(金)
文=長宗我部 友親(長宗我部家十七代目当主)