優しい沖縄と、そうではない現実
――沖縄を舞台の作品をつくる上で、沖縄の人たちの人間性をどのように描きたいと思っていましたか?
どう描きたいと最初から考えていたわけではなく、それこそ実際に行ってみて、現地の人たちと話した印象を大事にしました。単純な人物造形ではなく、なるべく実在の肌感に近いものを目指したつもりでいます。プロデューサーの高江洲さんの存在も参考になりました。直接何か「こうしてほしい」とか「沖縄の人はこうだ」と言われたわけではなく、高江洲さん自身も気づいていなかった“ウチナーンチュ”を身近で感じたといいますか。
――本土で制作される沖縄のドラマで描かれる人物像というと、「なんくるないさー」と言ってくれそうな明るく楽天的な人という印象がありました。本作は年齢やルーツも異なる多様な沖縄の人々が描かれています。沖縄県民のキャストも多く、リアルな沖縄の人たちを想像しやすかったです。
ただ、そこは難しいですよね。エンタメで優しい沖縄が描かれることは、イメージアップにつながると喜んでいる方も多いと思うので。本作のような主題は、沖縄を好きな人たちにとってはつらい話だとは思います。こういうドラマをつくろうと思ってるんですと沖縄の方にお話をすると反応はさまざまでした。眉をひそめる人もいれば、「ぜひやってもらいたい」という人もいる。放送してみてどういう反応があるのかも、まだわからないなと思っています。
沖縄のドラマなどでは、優しいけど強くしっかりしているおばあがよく登場しますよね。そういう方は実際の沖縄にも多い。ですが、ではなぜ女性たちはそうならざるを得なかったのか、ということはあまり語られていない。やはりそれには理由があると思うんです。女性自身が「強さ」を自称するぶんにはポジティブでいいのですが、男性が「沖縄の女は強いから」と免罪符のように言うことで、女性が割りを食う構造に蓋をしている面もあるように感じました。
取材で感じた観光地側面とのギャップ
――私は実際に本作の舞台にもなっている普天間に行ったときに、米軍機のあまりにけたたましい音にびっくりしました。野木さんが沖縄中部での取材時に体感したことはなんでしたか?
コミュニティの狭さを感じました。バイレイシャルの方と話していたときなどにも感じましたが、すぐにいろんな友達とつながれてしまうんですよね。そこに、ゆいまーる的な輪の大事さを強く実感しました。東京みたいに、隣の人の顔も知らないような生活はなかなかできない。良くも悪くも。
――では観光として訪れていたときと、今回の取材でみた沖縄に何かギャップはありましたか?
今までは那覇や美ら海水族館など、観光でしか行ったことがありませんでした。今回は特に米軍基地が多い沖縄中部に行ったのですが、本当に基地が広いんですよね。1話の冒頭で主人公のキー(松岡茉優)が沖縄についてから感じているものは、私の実感そのままを反映しているところが大きいです。
――観光として行った際には気づけないことが案外ありますよね。
同じ沖縄でも、普段米兵を見かけない場所も多いですからね。地域によってはバイレイシャルの人すら全然いないという話も聞くので、地域差はあると思います。まして本土と沖縄の距離を思えば、知らないことが多いのは当然だよなと思います。
――本作は沖縄の言葉も丁寧に使われていた印象があります。言葉に込められた沖縄の文化や人々の精神を伝えてくれていたので、より理解が深まりました。野木さんが特に気に入った言葉や文化はありますか?
本当に独特ですよね。とても興味深くて、言葉や文化はいろいろと調べました。特に面白いと思ったのは「ヒヌカン」です。ヒヌカンとは、うちなーんちゅにとって身近なかまどの火の神様。沖縄では古来よりヒヌカンを祀り、拝むという行為が代々受け継がれています。ヒヌカンを祀るのは女性で、それはある種女性を縛りつけるものであるかもしれないけれど、よりどころでもある。それに家それぞれに神様がいるってすごいと思いました。
2023.04.07(金)
文=綿貫大介