連続テレビ小説「ちむどんどん」がまもなく最終回を迎えます。SNSでは作品をめぐっての批判がやまない本作。いったい何が視聴者をそうさせてしまったのでしょうか。
沖縄復帰50年の歩みは朝ドラで描くには難しすぎた
2021年3月3日(水)。この日の朝の生放送番組「あさイチ」内で、2022年度前半の朝ドラ「ちむどんどん」の制作と、ヒロインが黒島結菜であることが発表されました。沖縄が舞台で、ヒロイン・比嘉暢子が料理人を目指し、沖縄料理に夢をかける姿を描くストーリー。それを沖縄出身の黒島が演じる。これはナイスキャスティングすぎる!
このときリアタイで「あさイチ」をみていて、本当にちむどんどん(=心がわくわくどきどき)しました。「アシガール」「いだてん」「スカーレット」とNHKドラマで数々の活躍をみてきて、黒島結菜がヒロインの朝ドラを個人的にずっと待っていたので、ついにきた!と歓喜。しかも脚本は「マッサン」の羽原大介。もう絶対良いに決まってる!
ときは杉咲 花主演の「おちょやん」が放送中のタイミングでしたが、沖縄の本土復帰50年を記念して制作さるということは相当前から決まっていたことなのでしょう。「本土復帰からの歩みを描く、笑って泣ける朗らかな50年の物語」と謳うのであれば並々ならぬリサーチのもと沖縄の歴史をしっかり見せてくれものになるはず。
そうなればみんなが知っている明るい沖縄だけでなく、暗部も描いていくことになるのでは。朝ドラとしては挑戦的だろうけど、その分楽しみ。そういう思いで2022年の春を待っていました。
そして鳴り物入りで放送された「ちむどんどん」。「沖縄復帰50年記念」の肝いりで始まったこの大風呂敷の広げ方が、そもそもの批判の種だったのだと思います。
習慣としても毎日朝ドラを楽しみにしている身としては、これまでもちゃんと当たり外れを平等に見守り、楽しんできました。ただ今作は期待をさせるプロモーションがあった分、余計に落胆するところは正直ありました。
同様にみんな、今作に期待していたんだと思います。自分が望んでいる行動を相手がしてくれないときに責めてしまうのは、「期待」が「怒り」に変わってしまうからで、期待と怒りが結びつくとどうしても人は攻撃的になってしまいますから。
でも、よくよく考えたら沖縄の50年の歩みは、NHKの朝ドラでやるにはあまりにも「政治的」すぎた。米軍基地負担をはじめとしたその事象や事件の一つひとつは沖縄を語る上では大切な問題なのだけど、それら「政治」(とされてしまう、させてしまっている事象)を語ることなく沖縄の50年を描こうとした結果、骨のないスカスカな物語になってしまったように思います。もしかしたら、本当はもっと丁寧に描きたかったけど、朝ドラとしては不適切とされ、中途半端なまま見切り発車してしまったのでは? とも思いたくなります。
「沖縄に失礼」「沖縄をバカにしている」が示すもの
だとしても! SNSでの批判やそれを煽るようなネット記事は、ちょっと度を越していて、完全に今作は「叩いていいもの」になっていることが気になります。#ちむどんどん反省会 というハッシュタグも、他人に反省しろ!と迫る態度がどんどん過激になってきています。登場人物のキャラクター・人間性への批判も多く、まるで「ザ・ノンフィクション」(FNS系列)の密着相手に対して度々起こるネット上のバッシングを彷彿とさせられました。
過去にも批判の的になったドラマはあったものの、ここまで攻撃されるのは異様。ちょっと立ち止まって考えてほしいのですが、もはやわかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えてはいませんか? (と、みんなに問いたくなります)。
ただこの一連の批判には、単純に破綻した脚本や登場人物のキャラ設定などドラマに対しての苦言というよりも、もっと根深い問題が別にあるように感じています。気になったのは批判のなかに多く見られた「沖縄に失礼」「沖縄をバカにしている」「沖縄の人がかわいそう」という言葉です。
47都道府県が代わるがわる舞台になる朝ドラ。これまでも批判を受けるような作品はありましたが、そこに県への敬意や県民性くっつける批判はなかなかありません。本作がもし、沖縄の本土復帰50年記念作でなかったら。沖縄が舞台でなかったら。ここまでの批判ムーブメントにはなってないでしょうか。今作への批判には、(主に本土の人間が)「沖縄」のことをどうみているのかが凝縮されている気がするし、大切なことが置き去りにされている気がするのです。
2022.09.27(火)
文=綿貫大介