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小さな頃の記憶が今なお料理人としての矜持

 「私は料理人というだけではなく、農業従事者でもあるのです」とクリストフ・エ氏は言う。

 近くに1.5ヘクタールの農地を持ち、食肉牛を自身で育て、時間があれば漁師とともに釣りに行き、ホテルの裏に設営した温室の柑橘類の世話もする。厨房に立つと同時に、土を触り、動物を愛で、森へ川へと足を運ぶ。

 エ氏は、ロワール渓谷ブロワのそばで生まれた。父親は精肉店を営み、母親は食堂の給食係。母方の祖父母は農地を持っており乳牛を育てていた。

 休日には、庭から採ってきた野菜が必ず食卓に上り、母親が作る料理を家族で囲んで食べるのが楽しみだったという。料理の道に進んだのは、ごく自然なことだった。

 ただひとつ、幼い頃に、辛く心に残る出来事があった。牛乳が生産過剰になり、祖母が搾った乳を泣く泣く捨てる場面に遭遇したのだ。

 「将来は、小生産者の一助になるような料理人になりたい、そして一緒に進化したい」と心に誓った。

 37歳のときに故郷に戻って、小さなレストラン「メゾン・ダ・コテ」をオープンすると、地域に点在する小生産者との出会いを求めた。

 地方を代表する鶏“ジェリーヌ”や、絶滅危惧種といわれた古来種の羊“ソロニョット”の生産者。ウナギから川カマスまで、ロワール川の淡水魚を知り尽くす漁師。

 チョウザメ養殖に20年前から挑む、中世から代々魚の養殖を手がける一家。森の隅々までを知るトリュフの狩人。

 それぞれがこの土地の豊かさを支えていることに気づき、ロワール渓谷が世界遺産に登録されたことの意味を深く感じるようになった。料理を通して、この土地の未だ知られざる豊かさを、多くの人に知ってもらいたい、と。

 今やエ氏はロワール渓谷のガストロノミーの大使だ。昨年は国家功労賞も授与され、今秋、ロワール渓谷を挙げて第一回目として開催されるコンクール「シャンボール風の鯉」審査委員長にも就任。

 「メゾン・ダ・コテ」から歴史的建造物でもある「フルール・ドゥ・ロワール」に移転し、思いを新たにしている。

 街の中心地にありながら、敷地のそばに農地を持てたことを嬉しそうに話す。50種にも及ぶアスパラガスの品種を栽培し、採れたての大きなかぼちゃを見ながら、料理を考える。

 熟す前のひまわりの種が瑞々しく美味しいことを知り、ハーブやエディブルフラワーを愛で、料理に添える花や葉を摘む。

「メゾン・ダ・コテの時代からですが、畑の一角にコンポステを設けています。自然の恵みはすべていただくか、土に返すのです」

 牛の骨で作るガラムや、魚の骨から作るゼラチン質の多いソースも、料理に華を添える。

 「私がしていることは、使命という大それたことではなく、この地に生まれて生きる人間として当然のこと」と言う。

 愛を持って表現された料理は、見知らぬ土地への扉を静かに開いてくれる。

Fleur de Loire(フルール・ドゥ・ロワール)

所在地 Quai Villebois Mareuil, 41000 Blois, FRANCE
電話番号 +33 02.46.68.01.20
客室数 44室
料金 1室350ユーロ~(2名利用、朝食付き)
交通 パリ市街から車で約120分、列車で約90分
https://fleurdeloire.com/fr/

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2022.10.19(水)
文=伊藤 文
撮影=吉田タイスケ

CREA 2022 vol.4
※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。