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失われた食の景観を蘇らせる一皿の哲学
クリストフ・エ氏のスペシャリテのひとつ“シャンボール風の鯉”は、18世紀に遡るロワール渓谷の記念碑的な料理だ。
壮麗なシャンボール城の名が、この料理についている所以は確かではないが、歴代の王の威光を一皿で表現した料理であることに間違いはない。
それは、鯉に贅沢な詰め物をした料理で、雉などのジビエ、川カマス、ザリガニ、トリュフなど、この地で産する食材をふんだんに集積した王侯の料理だったという。
20世紀に入って食の景観が変わってしまったことを、エ氏は憂えた。ダム設置で魚が回遊できなくなり、川の生態系が失われたり、トリュフを産していた土地がぶどう畑に取って代わられ、生産が激減したり。
自然へのリスペクトを忘れた故、失われた対価は大きかった。そこで、彼は生産者と力を合わせ、地元食材を使った料理を作り、豊かさを取り戻すことの大切さを訴えてきた。“シャンボール風の鯉”にはそんな思いが詰まっている。
人々の声が届いて、近年、不要なダムは取り除かれて川に魚が戻り、環境に多様性が取り戻された。カワセミやサギ、それにシギなどの渡り鳥の姿も見られるようになった。
「使う食材はほぼ100%地元産」と、自信をもってエ氏が作り上げる皿には、チョウザメにキャビア、トリュフ、サフランなどの食材も登場し、驚きを隠しえない。
ミシュランガイドでは2ツ星のほか、持続可能な料理に取り組む店に贈られる“グリーンスター”も獲得。食彩の美はロワール渓谷の豊かさそのものである。
2022.10.19(水)
文=伊藤 文
撮影=吉田タイスケ