「社長になればいいじゃない」と言われて社長に

遠山:今朝、重松さんのブログ(ZOZOPEOPLE 重松 理さんのページ)を読んでいたら、あまりにも面白くてお弁当をつくるどころではなくなってしまいました。生まれたときから今まで、そしてこれからのことを書かれていますね。洋服が好きでファッション業界に入られて、一部上場企業の社長をされました。

重松:最初に就職した婦人服メーカー在籍中に企画書を書いて、創業メンバーたちとともにビームスを立ち上げました。26歳のときです。ビームスでは1号店の店長、買い付けなどを担当して、10周年の1986年にはある程度、ビジネスモデルができあがった。それで洋服のビジネスはこれでやっていけると、今度は衣食住の食と住の開発部門を立ち上げたんです。ところが、そこで先代の社長と意見が食い違ってしまい、1年間くらい悶々と悩みました。そんなとき、通っていた自己啓発セミナーで当時60歳くらいの女性に、「そんなこと言ってるんだったら社長になればいいじゃない。社長になったらやりたいことができるよ」と言われて、「そうか」と腑におちたんです。それでユナイテッドアローズを立ち上げて社長になりました。

遠山:いい話ですねー(笑)。私も、スープ ストック トーキョーの企画書を一緒に書いた岡本という後輩に、のちになって「遠山さんあのとき、とにかく自分で意思決定したいって言っていましたよ」と言われました。サラリーマンって会社にいると、「なんでこうなっちゃうんだ」ということが多いですよね。だから、「だったら、てめえでやるわ」となる。今は経営者であのころとは逆の立場になりましたが、どうですか?

重松:社員の意志や情熱は高く評価していますし、自分も好きなようにやらせてもらったのでそうしたいと思いますが、経済合理性がないと商売にはならない。そこのハードルは高いんです。まずは、情熱と挑戦とは思いますが……。遠山さんが勤めていた三菱商事には、社内ベンチャー制度はあったんですか?

遠山:その当時はまだなく、私がゼロ号でした。丸の内の会議室でスープビジネスを提案しても、絶対に通らない。そこで、三菱商事の関連会社である日本ケンタッキー・フライド・チキンの大河原さんという社長にプレゼンして、面白いじゃないかと言っていただいて、1号店ができてから三菱商事にプレゼンしたんです。現物があれば、会社も評価しやすいですから。そうなるまでは、会社に対しては、「私のことは2年ぐらい忘れてください。2年後にはいいお土産を持って帰ってくるので」というスタンスでいました。だから新規事業を立ち上げるということに関して、ひとつだけアドバイスするとしたら、「とにかく会社から離れてやりなさい」と言います。重松さんでさえ、「経済合理性がないと」とおっしゃっているわけですから……。

重松:そう言わざるを得ませんよ。

遠山:そうですよね、株主もいるわけですし。

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2013.09.19(木)
text:Rika Kuwahara
photographs:MIki Fukano / Nanae Suzuki