「飛べない自分」を経由しなくてはわからないこと
先に書いたように、当初の脚本はこの奥様とのエピソードで終わる予定だった。つまりそれはこの後に控えている「トンボを助けるために再び飛べるようになる」というシーンを描かなくても、キキがウルスラとの対話で自分がやっている修行の意味を把握できたところで、「通過儀礼」という主題は描ききっていると判断されていたということだろう。
そう考えると、トンボはキキが自分の心をうまくコントロールできなくなる思春期的な感情のトリガーという役回りであって、「通過儀礼」という本題に深く関わってくるのは、キキの“先輩”にあたる女性キャラクターたち――ウルスラと奥様、それに下宿するパン屋のおかみであるおソノさん――ということになる。『魔女の宅急便』は人生のとば口に立ち、その年なりの「通過儀礼」に立ちすくむ少女と、彼女を見守る同性の先輩たちの物語なのである。
キキは、クライマックスでトンボを助けるためにデッキブラシで空を飛ぶ。それは彼女の中で、自分は飛ぶことでしか世間にコミットできないんだ、ということを自覚できたから飛ぶことができたのだ。
それは「飛べない自分」を経由しなくてはわからないことだった。そしてそれは、ウルスラが語った、絵が描けなくなった後、絵を描くということがわかった、という言葉を、今まさにキキが反復しているという状況なのだ。きっとキキは、いつか誰かに、この時のことをウルスラのように静かに振り返るのだろう。
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参考:WEBアニメスタイル「佐藤順一の昔から今まで(8)横にならない大学生時代と『魔女の宅急便』」http://animestyle.jp/2020/12/21/18783/
2022.05.13(金)
文=藤津亮太