その次に描かれるのは、さっきまで親しげに話していたトンボが、仲間のところに行ってしまったことに対する寂しさ。それはトンボに対する独占欲もあるだろうが、それよりも自分が世間から疎外されていた意味合いのほうが大きいだろう。
これはその後に控えている展開が、キキの(自分でも把握できない)恋心に焦点をあてたものでなく、ジジと会話ができなくなることと母がくれたホウキが折れてしまうこと、という「それまで自分と一緒にいてくれた存在」がいなくなってしまう、というエピソードであることからもわかる。
自分が誰からも必要とされていないのだという恐怖
まだ地盤の固まっていない若者の一人暮らしで怖いのは「疎外感」だ。自分が世間で誰からも必要とされていないのだという恐怖。この恐怖に飲み込まれずになんとか踏みこたえられるようになること。そこが本作の描こうとした「13歳なりの通過儀礼」ではなかっただろうか。
落ち込んだキキは、映画の前半に出会った森に住む絵描きのウルスラ(ただし作中では名前は出てこない)に誘われ、彼女の小屋で一晩を過ごす。ウルスラは、そこで人生の少しだけ先輩として、自分が行き詰まった時にどう対処してきたかを静かに話す。ウルスラの声はキキ役の高山みなみがダブルキャストで演じている。つまりウルスラには、キキが精神的に成長するであろう姿が重ね合わせられていると考えられる。
ウルスラが語るのは「成長する時には、それまで無意識にやっていたことができなくなる。でもそれは、自分がなにをやりたいかを掴み直すチャンスだ」という内容だ。キキはここで、魔女がなぜ一人で修行に出るのか、という意味を自分なりに捉えることができるようになる。
そして、少し気持ちが晴れたキキは街に戻り、先日の奥様の仕事をするためにお屋敷に向かう。そこで待っていたのは、キキの仕事に感謝している奥様からのケーキのプレゼントだった。続けていれば、つらいこともあるけど、いいこともある。渡る世間に鬼はなし。そのことにキキは救われる。
2022.05.13(金)
文=藤津亮太