マッカーサーの愛車の中で
お尻を出しちゃった(横山)
光石 ある日、クールスのファンクラブの会報に萩野(知明)さんの写真が載っていたんですよ。友達と喫茶店に集まって、「誰だろう? この人、メンバーじゃないよね?」って疑問に思っていて。
横山 僕と一緒にCKBの事務所「ダブルジョイレコーズ」を興した現C.O.O.の萩野君のことですね。あの頃は萩野君もクールスのスタッフだったんです。当時、萩野君が18歳、僕が17歳。
光石 もう横山さんもスタッフだったんですか?
横山 まだメンバーの周りをウロチョロしてるウザい存在でした(笑)。リーダーの秀光さんの煙草を買いに行ったり、「瓶の牛乳買ってこい」って言われて原宿を駆けずり回って探したり、小間使いをしながらヌルッとスタッフになったんです。あれは確か81年のこと。
光石 僕は東京に出て来てすぐに新しいメンバーが入ったと聞き、そこで萩野さんがべースのトニー萩野だと判明したんです。「シンデレラ・リバティ」のシングルとアルバム『THE CHANGELINGS ~Born Busters Again~』(81年)をすぐに買いました。
横山 嬉しいですねー。『ROCK'N'ROLL JUNKY』(83年)のジャケットで僕が着ているヒョウ柄コート、これまだ試作版だったんですよ。当時、クールスのメンバーが経営していたファッションブランドは、秀光さんの「CHOPPER」、ムラさん(村山一海)の「SHOUT」、ジェームス(藤木)さんとフランクさん(飯田和男)の「WILD DANCER」と3つあって。
光石 スリッポンは「WILD DANCER」ですか?
横山 そうです。それまで「CHOPPER」にお世話になっていたんで、何となく気まずかったりして、3つのブランドをうまく交ぜながら着ていましたね。
光石 そういうのがあったんですか(笑)。大変ですね。先輩のメンバーに気を使いながら。
横山 音楽面ではまったくそういうことはなかったんですけどね。『OLDIES SPECIAL』(82年)のジャケ写は厚木の「マッカーサーギャレッジ」っていうカフェで撮影したんです。その店にマッカーサーが乗っていたっていうキャデラックが置いてあって。
光石 それは貴重ですね。
横山 そのマッカーサーのキャデラックの中でお尻を出すという失礼なことをしている俺(笑)。
光石 写真にありましたね(笑)。でも、これはほんと名盤だと思います。そして、僕はその頃からシャネルズ(後にラッツ&スターに改名)も聴くようになっていたので、ドゥーワップとかR&Bにどんどん惹かれるようになって。
横山 ああ、同じく。
2018.09.12(水)
構成=佐野郷子
撮影=鈴木七絵
スタイリング=下山さつき
ヘアメイク=山田久美子