師範、コーディネーターから表舞台に進出

――その後、パルクール・コーディネーターを始められますが、そのきっかけは?

 空手の練習では、手足を使って険しい山を登るというトレーニングがあるんですが、5、6年ぐらい前のある日、同じようなことが街中でできるパルクールの存在を知り、興味を持ったのがきっかけです。山道と違って、葉っぱなどで体がかぶれることはないですし(笑)。ただ、その頃は日本でやっている人が少なかったですし、パフォーマー以外、コーディネーターに関する資格のようなものはなかったので、僕自身で作っていくしかなかったんです。見せ方だけじゃなく、場所や衣装に至るまで。

――さらに、俳優としての活動を始めるようになったきっかけは?

 勉強のために、ワークショップには参加するようになったのですが、2年ぐらい前に、パルクール・コーディネーターとしてのマネージャーさんのような存在を探していたんです。そのときに、たまたま僕のお芝居を観てくれた今の事務所の方と出会い、俳優として事務所に入ることになったんです。

――そして、2014年公開の映画『少女は異世界で戦った』で、主人公たちの宿敵役で映画デビューされますね。

 それまでスタッフとして現場に入っていたので、現場の雰囲気には慣れていても、役者として、どう動いていいかまったく分からず、困惑しましたね。『KARATE KILL/カラテ・キル』のプロデューサーさんと出会った作品ですから、この映画への出演は大きな転機になったといえますね。

2016.08.19(金)
文=くれい響
撮影=佐藤 亘