元パートナーとの「15年」という歳月
異性愛者の場合、長く付き合ったカップルの先には、多くの場合「結婚」という選択肢が用意されています。ひとたび家族になれば、法的な保護や社会的な公認という「外枠」が、関係を維持するためのセーフティネットになってくれます。二人の感情が揺らぐことがあっても、「法的な責任(契約)」に基づいた制度や役割が関係を繋ぎ止める「地盤」として機能するのです。
一方で、結婚の選択肢が閉ざされた日本の性的マイノリティにとって、どれほど長くパートナーと一緒に過ごしても、二人は法的には「他人」のままです。近年、多くの自治体で「パートナーシップ宣誓制度」が導入されていますが、これはあくまで自治体が二人の関係を認めるものであり、法律婚のような「法的効力」は一切ありません。
相続権もなければ、子どもを持ったとしても、共同親権も持てない。医療現場での同意や、公的な保障においても、その効力が極めて限定的です。結局、関係を維持するためのエネルギー源を、純粋に「個人の感情」や「努力」だけに頼り続けなければならない。これは、想像以上に過酷なゲームルールです。
カズユキが語った元パートナーとの「15年」という歳月。元パートナーと一緒に飼っていた愛犬の思い出話。カズユキの振り返りのノートには、当時、第三者に関係性のことを聞かれた際に「家族のようなものですと笑って答えてきた」と記されていました。
「15年」。それは、異性愛者であれば結婚し、家族として安定した生活を築いていてもおかしくない時間です。しかし、法制度という後ろ盾がないままでは、関係がマンネリ化したり、将来への不安がよぎったりしたとき、踏み止まらせてくれる「外枠」がありません。
今回カズユキがグリーンルームという恋愛の場で、15年連れ添った元パートナーの面影に心を寄せてしまった姿。それは積み重ねた歳月を祝福し、保護してくれる「法制度」がこの国に欠けていることの、切実な表れのように感じます。
カズユキが「完成形だったのかもしれない」とまで振り返った二人の関係。もし、最初から法制度が整っていたら。その15年は「長すぎた春」で終わることなく、法に認められた家族という強固な地盤の上で、おだやかに続いていたのかもしれません。
