デル・トロ 美しいと思いました。この世ならざる何かが宿っている、ほとんど恍惚の表情でした。ベルニーニの彫刻『聖テレサの法悦』のように、現実ではないかのようだった。私にとって、彼はまさに救世主(メシア)でした。生涯この存在に仕えるのだと思ったのです。

 原作であるメアリー・シェリーの小説『フランケンシュタイン』に触れたのは11歳ごろ。スーパーマーケットの本棚にペーパーバックが並んでいるのを見つけ、たった1日半で読み終えた。1931年の映画版と原作に大きな違いがあることにも気づいたという。

デル・トロ 小説の怪物は、知性を持ち、言葉を話し、人間になります。小説に感動した私は、怪物と私自身についての映画を作るのだと決意しました。なぜなら、私は彼と同じだからです。私は、世間がいうところの“ごく普通の善良な少年”ではなかったし、この世界に違和感を覚えていました。彼も同じだったのです。

誰にでも“宇宙規模のカラオケ”で歌える曲があるはず

 小説に魅了されて以来、『フランケンシュタイン』の映画版はすべて観てきた。イギリスのホラー会社「ハマー・フィルム・プロダクション」による『フランケンシュタインの逆襲』(1957)などのシリーズをはじめ、アンディ・ウォーホル監修『悪魔のはらわた』(1973)や、一時は幻となったテレビ映画『真説フランケンシュタイン』(1973)といったカルト作品も追いかけてきたという。

 しかし、どの作品もしっくりこなかった。「私の考えるようなフランケンシュタインを、誰も映画でやってくれない。常々そう思っていました」と語る。

 デル・トロは「宇宙のカラオケ」という比喩を使った。「誰にでも、“宇宙規模のカラオケ”で歌える曲がいくつかあるはずだ」と。

デル・トロ それは、自分が誰よりもうまく歌える、あるいは誰とも異なる歌い方ができると感じる曲のことです。実際にその通りなのか、そして人に好かれるのかはわかりませんが、それを歌うために生まれてきたと思える曲――私にとって、『フランケンシュタイン』はそんな作品でした。

 デル・トロは「あらゆる芸術作品は自画像であり、自らの経験を語るもの」だと強調する。小説『フランケンシュタイン』が作者メアリー・シェリーの自伝的作品であることから、デル・トロも「自分の自伝的な作品にしたかった」という。

デル・トロ とても個人的な作品、とりわけ私と父親についての物語になると常々思っていました。もちろん私は、実験室で生まれたわけでも、また死体から作られたわけでもありません。けれども、自分が父の記憶によって作られていることは確かです。

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