モノを愛することは肉体を愛すること
だけど運動をやり始めて、モノというものの複雑さに気づかされていった。
例えばあのランニングマシンの足場が動いて上に乗る人を強制的に走らせる構造、よくよく考えたら面白くない?
そして肉体はもしかしたらもっとヤバいかもしれない。ああして走ると汗が出てきてこれが蒸発することで体温を下げる、こんな複雑なシステムが意識しないで勝手に作動するってスゲえよ。
そういうのを自分がボーッとしてたり、寝ていて意識ない時も肉体はやってくれてる。そして難病みたいな障害を負ったとしても、自分の職務をひたむきに全うし続けてくれる。
そんなモノとしての肉体、むしろ凄くないか? 肉体をあえてモノとして見ることで分かることが、実は意外とたくさんあるんじゃないか。
モノってのは言葉を発さない、いや正確には俺たちに簡単に理解できる言葉を発さない、こんなに近くにいる存在なのに不思議だが。
だから普段モノが何かを訴えかけてきても、俺たちは理解できないからって無視する。そしてその無視が時々悲劇を引き起こす、俺の難病なんかはそうだろう。
その言葉を聞くためには耳を傾けるだけじゃダメだ。五感の全てを傾ける必要があるんだ。そして今までそれから逃げてきたことに、素手で自分の体ってのを味わいながらゆっくりと、静かに洗うなかで俺はやっと気づけたんだ。
だけどこれはまだたったの一歩目なんだ。
あのランニングマシン。電光掲示板のついた窓に向かって置いてある2台のうち、右側にあるランニングマシン。
これを洗剤と布巾で労るように、自分の肉体を労ることができているだろうか。そして労ることができたとして、それを続けていくことができるだろうか。そんなことを思いながら今日も俺はチョコザップで走り、そして家で体を洗う。
モノを愛することは肉体を愛すること。肉体を愛することはモノを愛すること。
俺はこの愛を、歩くような速さでいいから育んでいきたい。
済東鉄腸(さいとう・てっちょう)
1992年千葉県生まれ。大学時代から映画評論を書き続け、「キネマ旬報」などの映画雑誌に寄稿するライターとして活動。その後、ひきこもり生活のさなかにルーマニアを中心とする東欧文化に傾倒し、ルーマニア語で小説執筆や詩作を積極的に行う。著書に『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』『クソッタレな俺をマシにするための生活革命』。チョコザップで好きなマシンはランニングマシンと背中を鍛えるラットプルダウン。
X @GregariousGoGo

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編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載です。
(タイトルイラスト=STOMACHACHE.)
2025.10.15(水)
文=済東鉄腸