こんな風に自分の体を感じたことあったっけかと俺はふと思った

 そういうことを続けていたある日、いつものように風呂で自分の体を洗おうとした時のことだ。

 泡立てたボディタオルを肌に当てた時にふと思ったんだよ。これは泡立ちやすいし、垢みたいな汚れも落ちやすいけど、表面が相当ザラザラして、汚れを落とそうと力入れて拭くと痛みを感じるなって。これってむしろ、ちょっと皮膚を傷つけてないかってすら思えたんだ。

 こういうゴシゴシって感じじゃなくて、もっと優しく、もっと自分を労るような形で体を洗えないだろうか?

 で気づいたのが、だったら自分の手で直接洗ってみればいいんじゃあないかってことだった。振り返れば手や顔、頭は素手で洗っているのに、他の体の部分に関してはそうしたことがなくて逆に驚いた。一回体全体を手だけで洗ってみよう!

 手に直接ボディソープをつけて、ゆっくりと泡を立てていく。手を洗う時よりも、顔を洗う時よりも丹念にやるが、タオルとかに比べればもちろん泡は少ない。

 だけど泡ってそこまで多くなくてもいいんじゃあないか、膜があるくらいの薄さでもいいんじゃあないか。

 それで手のひらを直接ふとももに当てて撫でるように触れていく。

 タオルと比べれば泡がないから、洗っている感自体はいつもより薄い。だけど感じるものは前よりも多い。

 ふとももを覆う大分濃い毛。

 二の腕にちょっとばかりついてきた二頭筋のしなやかさ。

 首でかなり凝り固まっている胸鎖乳突筋。

 右の手首で脈打つ、紫がかった緑色っていう何かちょっと不健康そうだが見入る色彩をした血管。

 それから背中だって触れる時はいつも、痒くなった時に爪を立てながら掻くくらいのもんだ。でもここでは硬い体をゆっくりと引き伸ばしながら、手のひらでその皮膚をさすってみる。そうするだけでも背骨の出っ張りとか湾曲が今までになく感じられた。

 そしてそんな脂肪や筋肉の奥には確かな熱がある。生活しているからこそ発される熱がある。

 こんな風に自分の体を感じたことあったっけかと俺はふと思った。特に男性は自分の体を粗末に扱いがちなわけでこの何気ない経験は重要ではないかって感じた。

 トランス男性だったりと男性でも生理がある人も当然いるが、多くの男性はそういう経験なんかないわけで、定期的な体の不調を味わうことなしに、その勢いで自分が肉体を持っているってことを意識せずに多くの時間を過ごせてしまう。そうすると自分の肉体をぞんざいに扱ってしまうんじゃあないか。

 そして肉体がキライというのは、自分のそれを軽蔑しがちってことでもある。それだから今まで肉体は所詮モノでしかないから、魂には及ばないって思いがあった。

 ゆえのセルフネグレクトが極まって、消化器の難病であるクローン病にかかった時は一気に40kg減ったのに自分で気づかないという異常事態まで起こっていた。その後もこんな難病にかかるなんて自分の肉体は何てザコなんだ! って思いに苛まれた。

2025.10.15(水)
文=済東鉄腸