しかし、のちにブログで自由自在に書いた文章が一冊になったのが、先述の『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』である。自著のなかで最も売れた本で、それから10冊以上上梓したが、これを超えることは、いまだできない。このことから、プロのアドバイスに耳は傾けるが、根本的な部分においては自分の感覚を信じようと強く思うようになった。ブログを立ち上げた経緯に関しては後述する。
すべてが手弁当だったアイドルプロデュース
レコード会社時代の元同僚が立ち上げた音楽制作会社でのアルバイトは、どんどん忙しくなっていった。ある日、インディーレーベルでアイドルをデビューさせることにしたので、コンセプトを考えてほしいと社長である元同僚から依頼がきた。レコード会社時代に培った経験を応用できるうえに、企画を考えるのは好きなので、私は二つ返事で引き受けた。
メンバーは女子高校生二人。のちにアイドル戦国時代と呼ばれた時代、雨後の筍のようにデビューするティーンエイジャーがいた。一方、こちらは予算を潤沢にかけられるわけでなし、事務所が強い力を持っているわけでもなし、当の二人はアイドル志望でもなく、正攻法でやっても勝ち目はないと睨んで脱力系の二人組を作る提案をした。
自身が女子高生だった時代を顧みると、日々どうでもいいことが楽しく、そしてすべてに倦怠を感じていたのを思い出したのがヒントになった。その空気を纏ったアイドルはまだいなかったので、ニッチながら目に留まる可能性があるやもと願った。グループ名は彼女たちが好きな食べ物である「トマト」と「パイン」からとってTomato n' Pineとした。デビューしたらファンからは略称で呼ばれるようになるので(これもレコード会社時代に得た知識だ)、トマパイと自ら名乗るようにディレクションした。
すべてが手弁当だったので、それを逆手にとった。限られた予算内で、カメラマンとスタイリストとヘアメイクとデザイナーを手配するのには無理がある。写真も撮れるデザイナーに依頼し、メンバーには私が選んで買ってきた服を着せ、チェキで写真を撮ってもらった。できあがったCDジャケットのデザインは、「インディーレーベルからデビューする女子高生二人組」としてビビッドな作品になったといまでも思う。デビュー曲のタイトルは「Life is beautiful」。
2025.10.01(水)
文=ジェーン・スー