「mixi」のコミュニティ運営に夢中だった
本業と副業を掛け持ちしても、夜討ち朝駆けで働いていた35歳までの人生に比べたら、暇な時間はたっぷりあった。当時、暇にあかせてハマっていたのがSNSのmixiだ。日記を書くのが楽しく、誰かに読んでもらって反応があるのも新鮮だった。ライターだった友人からは、「一銭ももらえないのに、よくあれだけ書くね」と笑われた。好きでやっていただけだったので、そんな風に思われたのは意外だった。
日記と同じく熱心にやっていたのが、コミュニティ運営。これは私にとっての実験でもあった。新卒から一貫して企画宣伝業務に携わっていたので、仕事で私が得た能力が本物だったら、コミュニティを作成し人を集めることもできるはずだと踏んだ。
mixiで知り合った友人と一緒に、メインユーザーの年齢層からコミュニティのコンセプトを考えた。一覧で目につくアイコンのデザインは、この友人が作ってくれた。これまた一銭にもならなかったが夢中になった。

やがて参加メンバーは1万人を超え、仕事を通して学んできたことに応用が利くとわかり、心底嬉しかった。いま振り返ると、プライベートと仕事との境界線が曖昧なのは、この実験好き気質のせいかもしれない。仕事で得た力をプライベートで活かしたり、プライベートで得たヒントを仕事に活かしたり、はいまでも続いている。
mixi全盛期、出版業界は新しい書き手をネットから探し出そうと血眼になっていた。私もその網に引っ掛かり、先のコミュニティで掲載された面白ネタを誌面で紹介する連載がスタートした。しばらくして雑誌が休刊となり、連載は終了。だが時を同じくして、新しく発刊される女性誌からエッセイの執筆依頼が来た。いきなりの月イチ連載。mixiネームがジェーン・スーだったので、そのまま始めて現在に至る。
この連載で、私が学んだことは大きい。最初の原稿で、のちに出す自著『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』にあるようなことを書いたら、編集長から「もっとマイルドに書いてほしい」とNGが出た。端的に言えば、書き方も内容もどぎつく下品だったのだろう。
当時は自分の文章にこだわりも自負もなかったので、言われた通りに書き直した。前のほうが面白いのにな、と思いながら。連載は1年と少し続いたと思う。反響は特になく、ある日突然、直接会ったことのない担当者から「今月で終わりです」と伝えられてひっそり終了した。あまりに突然だったので驚いたが、こういうものかとすぐ引き下がった。
「やってみて」と言われ、言われた通りにやったら終わった。文筆家を目指していたわけでもなかったので、悔しさもほとんどなかった。
2025.10.01(水)
文=ジェーン・スー