そしてなんと、そういったジェスチャーを、LINEのオリジナル・スタンプにしている人も出てきた。そこで面白いのは、そのジェスチャーの意味が共有できる地域を超えて、ワールド・ワイドで使えるように申請すると、そう簡単には許可が出ないということだ。例えば、握り拳の腕をイラストにして「がんばって!」の意味で使いたいと申請しても、世界には、これを性的な意味、暴力の意味として捉える地域があるので登録できない。
国境の壁はなくなっても、「文化」「常識」に壁は確固としてあるのだ。海外の人が隣りに居るような感覚で接することができるようになったからこそ、ちょっとしたしぐさが相手を不愉快にする事態になりかねない。SNSやニュース映像に映っている彼らの感情をうかがいつつ、そのときの一挙手に注目してみてはいかがだろう。
「常識」は、各地、各民族、各宗教の歴史や文化のもとにあり、それぞれが他の介入をゆるさない価値観、社会を映す鏡のようなものとして有り続けてきた。SNSで容易につながるようになって、その「常識」を他と比較する動きも見られ、グローバルな「常識」が形作られようとしているようだ。
二一世紀に入って四半世紀、いまだに国境は私たちをへだて、国境をめぐって争いがおこり、罪のない常識的にすごしてきた人びとの命が奪われている。
私たちは、たがいの文化、常識について知り、そのルーツと歴史に敬意をもって接することが大事だと思う。自分の常識を押しつけず、自分の常識が通じないことがあることを自覚し、ときには自分の中にある常識を修正する謙虚さをもつことが必要だ。
そうした思いで、世界の人びとと広大な常識・非常識の世界地図を歩いてみよう。
「はじめに」より


新・常識の世界地図
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文藝春秋
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2025.09.18(木)