「は……人?」

結局、その日のシフトが終了したのは21時過ぎになってしまいました。
くたびれながら着替えていつも送迎を頼んでいる従業員さんに声をかけると「ごめん……どうしてもやらないといけないことがあって」とのことで、AさんとOさんは仕方なくバスで駅まで行くことになったそうです。
停留所でバスを待っている間、Aさんは女将への愚痴をOさんに聞いてもらっていましたが、話が“Oさんが例の配膳を手伝ってくれたこと”に及んだとき、彼女から返ってきたのは予想外の答えでした。
「え、お客さんいましたよ? 布団に横になられていて『この辺に置かせていただきます』って言ったら体起こしてお辞儀してくれました」
「は……人?」
「はい。多分、あの旅館の関係者なのかな。あ~! さては、驚かそうとしていたでしょ、先輩~? でも、皮膚病とかそういうのかもしれないし、そういう冗談はダメですよ~」
「皮膚病……?」
「あー、いえ、別に顔も肌も見えたわけではないんです。でも、なんて言うんですかこう、“病院の匂い”ってあるじゃないですか。あの感じがしたから多分そうかなって……これ私の方が不謹慎ですかね、あはは! それより聞いてくださいよ、最近うちのおばあちゃんが――」
そうこうしているうちにバスがやってきました。
自分の隣に座ってからも、おばあちゃんの具合が良くなってきたことを嬉々として語り続けているOさん。あの離れの中に人がいたと聞いて一瞬驚きましたが、呑気なOさんの姿を見ていると、まあ、彼女の言うようなことだったのだろうな、そんな納得が生まれたそうです。
暗い夜の山道をぐるぐると下っていくバスの揺れ。
「その節はありがとうございました」
窓際に寄りかかりながら、止まらないOさんの話に「うんうん。気にしないで」と相槌を打っていたAさんでしたが、気がつくと寝入ってしまったそうです。
2025.08.09(土)
文=むくろ幽介