『匿名ラジオ』に努力してハマる

――佐倉さんはwebメディア『オモコロ』にハマっていて『日曜天国』の代演の時に『オモコロ』のライターのみくのしんさんをゲストに招いたり、『論理×ロンリー』でも『オモコロ』の面白さについて話したことがありますが、どのようにして面白いことを見つけてらっしゃいますか?
大きく分けてふたつのパターンがありますね。ひとつは、興味がなかったものに急に取っ掛かりを見つけて、ズルズルと紐解いていってハマるパターン。もうひとつは、努力してハマったパターンです。私が『オモコロ』を知るきっかけとなったのは、ARuFaさんとダ・ヴィンチ・恐山さんが『オモコロ』で配信しているインターネットラジオ『匿名ラジオ』で、じつは努力をしてハマったものでした。
――そうだったんですね。
新しくハマるものを見つけにくい時期に入った頃、私が好きなクリエイターさんがみんなこぞって『オモコロ』を追いかけていたんです。私は複数の男性の声の聴き分けが苦手で『匿名ラジオ』はふたりが繰り広げる会話にトリッキーな部分もあるため、始めは何の話をしているのか分からず、耳が滑っていく部分があったりもして。ただ、聴き分けができるようになって波を掴めたらものすごくハマれる気が直感的にして、一周目は無心で聴いて耳を慣らすようにしていました。

――ところで、佐倉さんは日本語をとても丁寧に使っているのを感じます。それは佐倉さんが読書家だからだと思うのですが、いかがでしょう。
そう思っていただけると嬉しいです。不登校だったときに時間がたくさんあったので、本はたくさん読んできました。日本語が大好きで、以前は今よりもっと言葉に固執していて、現代の日本語的な表現を拒むあまり「ヤバい」「エモい」というような言葉を頑なに使わない時期もありましたね。自分なりに日本語を守ろうとしていたのですが、最近は辞書も新しい言葉を掲載するようになりましたし、仕事で自分よりも若い方と接する機会も増えてきたので、共通言語として使っていこうと気持ちを切り替えました。新しく生まれた言葉を知るのも楽しいことに気付きました。もちろん、残していきたい言葉も使っていきます。
――人が話しているのを聞いて、言葉が気になることはありますか?
ありますね。なかでも助詞や接続詞の間違いなんかは気になるほうです。私も間違えないようにしているのですが、生放送で話すとなるとなかなかうまくいきません。一方『匿名ラジオ』のARuFaさんとダ・ヴィンチ・恐山さんは自分の頭の中で文章を組み立ててから声を発していらっしゃいます。WEBライターさんという特性もあって得意でいらっしゃるのかもしれませんが、私もできるようになりたくて試行錯誤しています。
林原めぐみを母に思いっきりプレゼン

――なにげなくラジオをつけて『論理×ロンリー』を聴いた人が「この人の話、面白い」と気になって、そこから佐倉さんのファンになる人も増えそうですね。
そうなっていただけると嬉しいです。母が数年前から「最近、TBSラジオがすごく面白い」と言って、TBSラジオをずっとつけっぱなしにしていることがあるんです。それで『林原めぐみのTokyo Boogie Night』を聴いて「林原めぐみさんって、声優さんなのね」と言ったんです。母は声優について詳しくないのでとても嬉しく、そして私は林原さんが大好きなので、林原さんの凄みを母に思いっきりプレゼンして良いコミュニケーションを構築できました。偶然聴いたことがきっかけでハマることってあるんですよね。
――番組がスタートして間もなく、定年退職したという方からもメールが届きましたよね。
夫婦で聴いている50代の方とか、定年退職後の楽しみになっているというような方も多いです。深くハマらなくても、久しぶりに孫に会った時に「佐倉さんっていう人のラジオを聴いてるよ」といった具合に話が広がるきっかけになったら嬉しいです。
不登校時代のことを話そうと思った理由

――佐倉さんは『論理×ロンリー』で不登校時代のお話をされることがありますが、不登校について話すようになったのは最近のことですか?
実はこれまではあまり公言しておらず、「ぼっちだった」とか「学校に行っていない時期があった」とか「学校が苦手だった」といった具合に濁していました。自分の中で傷がかさぶたになっていない状況で整理整頓した言葉をアウトプットすると、少し引っ掻いただけで剥がれてしまう気がしたんです。それに、不登校だった自分の過去が消費されることへの抵抗もかなりありました。
――それが、いつしか気持ちが変わってきたんですね?
30歳になって決意しました。「私が当時の体験を消費することで、不登校の誰かを救い出せるきっかけになるのなら話してもいいかも」と思ったんです。昔は不登校の人に対する偏見が大きかったけれど、最近は珍しい言葉ではなくなってきたことも覚悟したきっかけになりました。
――確かに、不登校という言葉の印象は変わってきましたね。
ただ、これは私の個人の感想なのですが、人が不登校について話しているのを聞いた時に、“丸い言葉”で喋っている人が多いことが気になっていたんです。ポジティブに元気づけたり、丸まっている相手の手を引っ張って無理に立たせようとしているのを感じると「自分だったら絶対に心を閉ざすに違いない」とヤキモキするんです。多少耳触りは悪くても、誰かの耳に引っかかる本質に迫った言葉で誰かに届けたいと思います。
――不登校の本人は敏感に気付きますよね。
美談のようにまとめるのではなくて、ネガティブな言葉であっても包み隠さずに残したいんです。当時の私には各所に配慮した丸い輪郭の言葉は耳から滑り落ちて、不登校にかけられた言葉で心に残った言葉がひとつもなかった。どうすれば当時の自分に耳を傾けさせられるんだろうと、過去の自分とずっと対話しているような感覚です。
『日曜天国』で不登校についてお話をした時も「優しくて、引っ張り上げるような言葉は当事者には届かない」とお伝えしました。放送で断言することで「この人の話なら聞いてみてもいいかもしれない」と苦しんでいる誰かに思ってほしくて。ある意味、賭けでもありました。
2025.07.23(水)
文=やきそばかおる
撮影=佐藤 亘