「恋人、親子、母娘という関係性からこぼれ落ちるものが書きたくて書いているのだと思うんです」
角田 たぶん私は「名付けようのない関係」が好きなんです。例えば恋愛にしても、恋人というよりは、当てはめるとしたら恋人かなぐらいの感じの関係を書きたいと思うので、ちょっとどこかずれている恋愛になるのではと思います。

三宅 角田さんはなぜそこがお好きなんですか? 昔からの嗜好なのか、書き甲斐があるのか。
角田 小説って何かと考えてみると、私の感覚としては、言葉にできないものをあえて言葉にすること。そして読み手に届けるときは、読み手は書かれた言葉から言葉じゃないもの、書かれていないものを受け取る手順のように思います。そうすると恋人、親子、母娘という関係性からこぼれ落ちるものが書きたくて書いているのだと思うんです。
三宅 とてもわかります。好きな角田作品がいっぱいある中で、たとえば『くまちゃん』がすごく好きです。ふる人、ふられる人がつながる連作短編ですが、関係性を説明するのが難しい。『対岸の彼女』が読まれるのも、名付けられない関係性を読みたいと思っている人が多いからではないでしょうか。
近作の『タラント』『方舟を燃やす』も、熱い説明はもちろんできるんですけど、あらすじの説明だけでは収まらない人と人の関係性を書かれている。角田先生の小説は他者が出てきて、いろんな声が聞こえます。それは角田作品の根幹に、名付けられない関係性への尊重があるからではないかと。
角田 それはすごくうれしいです。
――昨年から帯に使っている文言は、2007年に文庫化された2年後に、有隣堂のカリスマ書店員さんが書いてくださったポップの言葉です。胸がガーッ!と熱くなる瞬間がいくつもあり、特に「P141~143のくだりはグッと嗚咽が込み上げました!」と紹介しています。
「あたし、帰りたくない」/ナナコは言った。/「あたしだって帰りたくないよー」葵は笑ったが、それを遮ってナナコはくりかえす。/「アオちん、あたし帰りたくない、帰りたくない、帰りたくない、帰りたくない、帰りたくない、帰りたくない」/(中略)「わかった、帰るのやめようナナコ」/葵は言った。ひぐらしの声が、どこか遠くから重なって聞こえてくる。
三宅 私はわりと葵ちゃんが好きなんです。事件を起こした後の葵を慰めようと、「なんでもほしいもの言ってよ」と聞く父親に、「おとうさん、あたし、ほしいものないや」と答えるんです。そのずっと前に、いじめを受けるナナコが「悪口も上履き隠しも、ほんと、ぜーんぜんこわくないの。そんなとこにあたしの大切なものはないし」と言っているんですね。中学生の頃に読んで、その強さがすごく印象的でした。
2025.07.12(土)
文=内藤麻里子
写真=鈴木七絵