この記事の連載
こっちのけんと #1
こっちのけんと #2
社会人として無理する自分を〈あっちのけんと〉、本来の自分を〈こっちのけんと〉と表現することからはじまったアーティスト人生。“紅白後の2カ月の休み”を経て、復帰した彼が明かす現在地。
「うつだと診断されたほうがありがたい」

菅生健人が自らの異変を感じたのは、コンサルティング会社に勤めていた社会人1年目の終わりごろだった。
「当たり前にできていたことができなくなり、遅刻とか仕事上の小さなミスが増えていったんです。大阪に出張するはずの日に、普通に東京のオフィスに行って驚かれたりとか。『あいつ、大丈夫?』という空気になって、社内で浮いた存在みたいになりつつあった。昔から周りの目を気にするというか、みんなが思っていること、考えていることがわかるタイプなので、みんな心配だけど声もかけづらいんだろうなとも感じたりしていました」
精神科のクリニックに足を運んだのは“言い訳”が欲しかったから。
「うつだと診断されたほうがありがたいという気持ちでした。クリニックに行くのが怖いとか、診断が下るのがイヤだという気持ちはありませんでした。自分のいまの状態が知りたいという興味本位なところもあって、占いに行くみたいな感覚。『いま少し疲れているので、将来のために休みましょう』と占いで言われるよりも、精神科で言われたほうが納得できるじゃないですか。そこで診断が下って、なんだ病気だったんだって。自分に対する言い訳ができてホッとしました」
こうして2020年の春に会社を休職した菅生健人が〈こっちのけんと〉になるまでは、さらに2年間の時間を要する。
2025.06.21(土)
文=川上康介
写真=平松市聖
CREA 2025年夏号
※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。