とにかく言って言って価値を立ち上げるのだ…!
それで気がついた。褒めるとは、そもそも、“言う”ことなんじゃないか。テレビショッピングのプロのMCたちは、とにかくずっと商品についてなにか言っている。
たとえば、先日観たのは、婦人向けの裾の長いTシャツの紹介だ。
「ゆとりのあるお袖幅が美しいですよね」
「五分袖は長いシーズン着ていただけますからね」
「サイドにスリットが入っていますのでね、インしたり、全部出してもスタイリッシュです」
「裾は、前はまっすぐなカット、後ろはゆるやかなラウンドで、これがちょうどいいんです」
「長めの裾が、柔らかくヒップ周り、腰周りをしっかり隠してくれます」
「丈としてはチュニックなんですね、きれいに着ていただける」
「発色もよく、光沢感も感じられる素材ですよね」
「お袖周りにレースが入っています。カジュアルだけどきれい目にまとまりますよね」
「お色のホワイトは顔色が暗くなりにくく、トーンが上がります」
「オレンジもすてきですね、血色感がグッと上がりますよ」
もう、とにかく言って言って、言う。
一文一文を見ると、まず、そのものの存在をつぶさに確かめて言及して、そこへ価値を足しているのがわかる。
袖に幅がある → 美しい
五分袖である → 長く着られる
スリットが入っている → スタイリッシュ
と、こういう具合だ。Tシャツでーす! だけでは終われない。テレビショッピングという場において、TシャツはTシャツを超えねばならない。
このとき重要なのは、間違いなく観察だ。「袖に幅があります」「五分袖です」「スリットが入っているんです」と、細部に気がつくことで、「美しい」「長く着られる」「スタイリッシュ」であると、価値を立ち上げることができる。
ということは、テレビショッピングにおいては、「美しい」、「長く着られる」、「スタイリッシュ」よりもむしろ、前方の「袖に幅があります」、「五分袖です」、「スリットが入っているんです」が、大切であり、肝なんじゃないか。
商品の情報として重要なのはもちろん、具体性の把握に、すでにもう賞賛が感じられる。
あるとき、夕張メロンを紹介する番組では、「うわ~っ! 丸い!」とのコメントで十分にスタジオが、冗談ではなく真顔で盛り上がっていた。いびつさがなく、完全に丸い球体である。その驚きが、これはいいメロンだ! と、価値の高さを真正面からつかんでいた。
褒めるとは、そもそも言うこと。それは、見て、認めるということだ。
誰からも褒められないと嘆いた友人は、まるで自分がいないようだと感じていたのかもしれない。自分なりにできることはやっているはずなのだけど、褒めというくさびが打たれないために、自分という存在そのものが、どうも希薄に感じられる。きっと不安だったんだろう。
テレビショッピングでは、商品は「売る」のではなく、「ご紹介」する。
ここにこういうものがありますよと、矢印を立てて、輝かせ、目立たせる。紹介とは存在の肯定そのものだ。
電気刺激を送ることで筋肉を収縮させる機能のある青竹踏みは、「ご自宅に、すっとね、置いておくと、と~ってもいいですよ」と画面に大写しにされていた。青竹踏みが輝いて、嬉しそうに見える。
だからどうすればいいと、リアルな生活やコミュニケーションのうえで参考にするようなことではないかもしれないけれど、でもちょっと、納得した。
存在を視認する、私はここにいて、あなたもここにいますねと、事実を口にする。私はここにいます、この人もここにいますと、また別の誰かに紹介する。どうやら褒めは、そこからもうはじまっている。これは大きな手がかりだ。
古賀及子(こが・ちかこ)
1979年東京都生まれ。エッセイスト。WEBメディア「デイリーポータルZ」編集部員/ライターを経て、2024年からエッセイストとして独立。著書に日記エッセイ『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』『おくれ毛で風を切れ』(素粒社)、エッセイ『好きな食べ物がみつからない』(ポプラ社)、『巣鴨のお寿司屋で、帰れと言われたことがある』(幻冬舎)、『おかわりは急に嫌 私と「富士日記」』(素粒社)など。新刊は『よくわからないまま輝き続ける世界と 気がつくための日記集』(大和書房)。
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編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載です。
(タイトルイラスト=STOMACHACHE.)
2025.06.11(水)
文=古賀及子