映画『教皇選挙』が興行収入10億円を突破した。日本では3月20日に公開となった同作は、公開直後から大きな話題を呼び、満席の回も続出。映画の舞台となる「教皇選挙(コンクラーベ)」が実際に行われたことでさらなる注目を集め、現在も全国205館で公開中、この後も30館以上での上映が控えているという。

 コロナ以降は映画館へ足を運ぶ観客が減りつつあり、殊に洋画は公開作品数、興行収入の両面で苦戦することが多い。カトリックの儀式であるコンクラーベは、日本の観客にとっては身近に感じづらい題材でもある。その意味でも、本作の好調はまさしく“異例のヒット”と言えそうだ。

なぜこれほどヒットしているのか?

 しかし実際に本作を劇場で見てみれば、ほとんどの観客はこの映画の大ヒットに、自然と納得するだろう。『教皇選挙』は、宗教を取り扱った難しい作品ではなく、濃厚なポリティカルサスペンスであり、強烈なキャラクター性をはらむ人物たちの群像劇であり、それらの映画的なスペクタクルを彩る美術は極めてゴージャスだ。

 加えて、『教皇選挙』はそのほとんどが神秘のヴェールの向こう側に隠されたコンクラーベのプロセスを、綿密なリサーチによって再現した作品となっている。現実世界ではその全貌が隠された宗教的儀式を覗き見る快楽も、この映画にはある。

 映画館だからこそできる体験と満足感を携えて、観客は家路につくことになる。だが筆者は、映画としての魅力に溢れる本作に、拭い去れないある違和感を覚えたのも事実だ。 (※本記事では映画の詳しい内容に触れています。未見の方はご注意ください)

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枢機卿たちの個性的なキャラクター

 本作の最大の魅力は、何と言っても個性的なキャラクター描写にある。教皇は世界中の教会で信徒たちを導いてきた高位の聖職者=枢機卿の中から選挙によって選ばれる。出身や人種も異なれば、どんなキャリアを通じて枢機卿になったかはそれぞれの人物によってもかなり違う。

 教皇の座を巡ってしのぎを削る枢機卿には、聖職者なのにひどく俗っぽく権力にこだわる保守的な者もいれば、教義を強硬に実践するがゆえに人種差別的な思想を持つ者もいる。そうかと思えば、過酷な任地で地道に努力して、広い視野を持った人物もいるものの、往々にしてそういった人物は出世欲が薄く、人に知られることがない。むしろ、保守的だが気のいい年かさの人物ほど親しみやすく人望を得やすかったりもする。

2025.06.06(金)
文=山田集佳