高い完成度の一方で…筆者が覚えた“不安”とは
前述したように、この映画は(日本の)多くの観客には馴染みの薄い「カトリック」という題材を扱いながらも、多くの人が理解しやすいドラマ作り、絵作りをおこなっている。ゆえに、非常に共感を覚えやすい。
宗教を扱っている“のに”、わかりやすい映画になっている――。その点に、筆者は上映中、かすかな不安を覚えていた。
※以下、映画のネタバレを含みます。未見の方はご注意ください※
その不安は、クライマックスの展開において頂点に達する。劇中では複数の枢機卿が有力候補として躍り出るが、その誰もが俗っぽいスキャンダルを暴かれて脱落していく。

コンクラーベを通して中間管理職的な立ち回りに終始していたローレンスは自身の信仰と改めて向き直り、教皇となる決意を抱くものの、ダークホース的に現れた枢機卿ベニテス(演:カルロス・ディエス)が、最終的には教皇に選ばれる。柔軟な思想をもってその信仰を紛争地で実践していたベニテスは、伝統と教義に縛られて硬直化した教会組織に変化をもたらすのであろう、という予感がそこにはある。しかしベニテスは、最後の最後まである秘密を隠していた。

その秘密とは、彼がインターセックス(男性や女性に分類されない身体的特徴を持つ人のこと。医学的には性分化疾患と呼ばれる)であり、その体には生まれつき子宮と卵巣がある、ということ。前教皇はベニテスに摘出手術を勧めたが、ベニテスは自身の信仰――神が与えたもうた肉体に手術をする必要はない――に基づいて、その手術を直前で取りやめたという事実がクライマックスで初めて明かされる。女性の聖職者を禁止しているカトリック教会において、ベニテスは生まれ持った体のままで、新教皇となるのだ。
「衝撃の結末」と言って差し支えないこの展開だが、私は何とも言えない違和感を抱いた。その理由は、大きなものとして二点が挙げられる。
2025.06.06(金)
文=山田集佳