この記事の連載
「ご連絡してもいいですか」電話番号を聞くと…
浅野 共同でアトリエを借りたアーティストの知人によれば、その雑誌は、別荘を訪れたその芸術家本人が置いていったものだという。じゃあ、今度機会があったら、ぜひ私にも会わせてほしいと頼んだのよ。
近田 そのチャンスは訪れたの?
浅野 ある日、美味しいお刺身が手に入ったからって、みんなにその別荘に集まってもらったんだけど、その場に、例の彼を呼んでもらったのよ。
近田 実物を目にした感想は?
浅野 カッコよかったわよ(笑)。宴会がお開きになった時に握手して、「ご連絡してもいいですか」って電話番号を聞いて、すぐに電話しちゃった。
近田 積極的だねえ。
浅野 私、生まれてこの方、自分から男性の電話番号を聞くことなんかなかったのに、その人だけは例外。電話して、「お知り合いになりたいんですけど」って言ったら、そこから付き合いが始まっちゃった。
近田 その芸術家の彼は、何歳だったの。
浅野 私の3歳下だから、当時は57歳。かつては結婚もしてたんだけどね。
近田 当時、彼はどこに住んでたの。
浅野 山梨を拠点に、制作に励んでたのよ。聞けば、若い頃はロンドンで行われたヨウジヤマモトのショーにも作品を提供したことがあるらしい。デヴィッド・ボウイとも食卓を囲んだことがあるぐらいで、今でも海外での評価は高いんだって。
近田 そりゃすごいね。
浅野 知り合った頃には、子ども4人ももう大きくなってたから、「東京に出てくればいいじゃん」と誘って、ここに呼んじゃった。

近田 一緒に暮らしてみた感想は?
浅野 とにかく物静かだし、言葉を荒立てることがない。「馬鹿野郎」みたいな乱暴なセリフは、彼の口から一度も聞いたことがない。何か不満を感じても、「どうして君はそうなの?」って優しく問うようなタイプなのよ。それに対し、私はうわーって言っちゃう方だから。
近田 まあ、全然キャラクターが違うよね(笑)。
浅野 だから、本当に大変な時もあったよ。壁に向かって黙りこくって、1週間口も利いてくれないこともあったし。その辺は、芸術家気質なのよね。その一方、少年みたいなところもあった。
近田 表現者としての順子さんが、彼から受けた影響というと?
浅野 彼と出会ってからは、大きな絵を描くようになった。「君は、大きな絵を描いて、力いっぱい自分を表に出した方がいいよ」というアドバイスをくれて。
近田 それまでの順子さんの作風からは変わったの?
浅野 うん。以前は、スケッチブックに細かーい絵を描いてる程度だったから。
2025.06.05(木)
文=下井草 秀
撮影=佐藤 亘、平松 市聖