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48歳、ふと思い立ってマンションを出る

浅野 何しろ女癖が悪かったからさ、喧嘩が絶えなくなって、生活も乱れがちになっちゃって。そんな様子を、一緒に住んでる母に見せるのも嫌じゃない? だから、私が48歳の時のある日、ふと思い立って、恵比寿のマンションを出たの。

近田 突然決めたんだ。

浅野 そう。その人の若い舎弟に「悪いけど、あの人から引っ越し代もらってきて」って言って、黙って出て行っちゃった。

近田 彼氏と別れて、彼氏とやっていた仕事も辞めて。その後はどうしてたの?

浅野 その頃、母がちょっと具合を悪くしてたのよ。恵比寿にいた時に、肺炎を患って入院しちゃって、渋谷の新居に引っ越してからは、もう車椅子に乗っていた。その後は寝たきりで、入浴の際は、私が抱きながらお風呂に入れてたし。

近田 お母さんの介護は、何年ぐらい続いたの?

浅野 3、4年。93歳の時に亡くなったから、私の50代前半は、介護にかかりっきりだった印象がある。

60歳の時に訪れた、人生を変える出会い

近田 そして、60歳の時に、順子さんの画家としての才能を開花させる運命の男性との出会いが訪れたわけだよね。

浅野 ええ。私は、その頃すでに、素人ながらちょっとした絵を描いたりしてて、アーティストの知人と一緒に、アトリエを探してたのね。そしたら、ナポレオン党のメンバーだった人が、山梨にある別荘を貸してくれるっていうの。

近田 ここで解説を挟んどくと、ナポレオン党ってのは、60年代の横浜で派手に遊んでた若者男性グループのことね。その女性版が、順子さんたちが所属していたクレオパトラ党。しかし、横浜の不良は年を取っても仲がいいねえ(笑)。

浅野 とってもお洒落なその別荘を、年3万円という破格の値段で借りられることになった。ある日、そこに行ってみたら、一冊の美術雑誌が置いてある。めくってみると、一人の芸術家の作品の特集されていて、印象的な作品がたくさん登場してたんだけど、その終わりに掲載されてたその人の顔写真を見て、一目惚れしちゃった。

近田 作風うんぬんより、顔から入ったのね(笑)。

浅野 顔っていうより、雰囲気が素敵だったの。

近田 どんな雰囲気なの?

浅野 ベンチの端の方に座って、一人でタバコ吸ってるだけでも絵になる人。何て言うの、パリの街角にでもいそうな空気感を漂わせてるのよ。

近田 その前の、日焼けしたサーファーとは正反対のタイプだよね(笑)。

2025.06.05(木)
文=下井草 秀
撮影=佐藤 亘、平松 市聖