4年後に落慶する興福寺の中金堂

猿沢池から興福寺を望むこの風景は、長く大切にされてきた古都・奈良を代表する風景のひとつです。右手が興福寺五重塔、左手が南円堂。正面に再建中の中金堂を覆う大屋根が見えます。猿沢池からまっすぐ中金堂に向かう立派な石段が今も残されており、かつての正面入口でした。
興福寺の境内の様子。観光客や修学旅行生の姿はおなじみの光景。向こうに見える工事用の大屋根が再建中の中金堂。その大きさが分るというものです。

 5月24日、晴天に恵まれた土曜日、興福寺中金堂の上棟式が行われました。棟上げ完了を感謝し、あとに続く工事の無事を願って行われる法要です。古式にのっとり、春日大社の神職、興福寺の僧侶、興福寺ゆかりの大工集団・春日番匠座(かすがばんしょうざ)、雅楽を演奏する楽人らがそれぞれの役割を務めました。式典には約700人以上が参列し、厳かな所作に見入り、朗々と響く読経に耳を澄ませました。

 興福寺では伽藍の中心となる中金堂が江戸時代に消失。その後、仮堂として再建(2000年解体)されましたが、天平創建時の姿に復元するため、4年後の2018年落慶を目指して、再建の取り組みが進んでいます。

春日番匠座が木槌を振るい天地を鎮める作法を行ないました。
大屋根の高さまで登ると改めて天平時代に建てられた中金堂のスケールの大きさに驚かされます。
法要を厳修する式衆。
法要の際に僧侶の手から撒かれた散花(さんげ)。蓮の花びらを意味している。

 興福寺中金堂の歴史は「焼失と再建の歴史」です。これまで七度焼失していて、今回の再建は八度目。前回の焼失が江戸中期の1717年といいますから、300年ぶりの大事業です。式典は午前中に若草山麓にある石荒神(いしこうじん)社参拝から始まって、午後から中金堂で執り行われました。再建する中金堂が災害などに遭わないよう祈願して多川俊映貫首が読み上げる「再建上棟啓白文(けいびゃくもん)」、観世流シテ方の浅見真州師がうたう「祝寿之謡(ことほぎのうたい)」(この謡は多川貫首の詞に浅見師が節付けされたもの)。式典は緊張感のなかにも華やいだ雰囲気をもって進められました。天を鎮め、地を鎮める儀式である「槌打之儀(つちうちのぎ)」は木槌で棟木を打つというものですが、その槌音たるや。空気が震えた一打でした。

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2014.05.29(木)
文=砂川みほ子