ミュージシャンで俳優の古舘佑太郎(34)が上梓し好評を集めている『カトマンズに飛ばされて 旅嫌いな僕のアジア10カ国激闘日記』。古舘は有名アナウンサーを父に持ち、音楽の才能を早くから発揮していたが……。葛藤を抱えていた若き日々を振り返る。(全3回の1回目/#2#3を読む)

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ほとんど“こじらせ男子”だった学生時代

――潔癖症で“旅嫌い”の古舘さんが昨年アジア10カ国を旅した旅行記、興味深く拝読しました。個人的に、90年代に数々上梓されていた写真家やバックパッカーが綴った旅行記の読後感を思い出しました。

古舘 昔はそういう本がたくさん出ていたということを、この本の出版にあたって初めて知りました。そもそも、僕は“旅嫌い”という以前に、本当に旅そのものに全く興味がなかったので、お恥ずかしい話ですが、沢木耕太郎さんの『深夜特急』さえも知りませんでした。まさか自分が旅に出るなんて、思いもしませんでしたね。

――初の著書ですが、文章のリズムも良く、読み易かったです。文章の読み書きは、子どもの頃から興味をお持ちでしたか?

古舘 幼い頃は、性格の明るいスポーツ少年で、野球ばかりしていました。読書にも、勉強にも、あまり興味がありませんでしたね。小学校低学年の頃、音楽の授業で、先生が奏でるピアノに合わせて突然暴れ出しちゃったりするような落ち着きのない子で。目立ちたがり屋というか、お調子者でした。静かに机に向かっていられなかったので、読み書きなんて苦手中の苦手。ところが15歳になって、初恋の女の子と初めてお付き合いして、別れたのをきっかけに性格が一変。何だかあらゆる感情が爆発したような状態になって、どんどん内向的なやつになっていきました。音楽や読書に没頭して、詩を書き始めたり。そのとき、父親が何を思ったのか、僕に『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J.D.サリンジャー:著 村上春樹:訳)を薦めてきて。

2025.04.23(水)
文=内田正樹