進化心理学は、心も進化によって形成されたという前提に基づいて、ヒトの心理を研究する学問です。関連分野として、ヒトの心理や行動を進化の産物として研究する人間行動進化学があります。本書で扱う内容はどちらの名称で呼んでも間違いではありません。率直に言いますと、進化生物学が専門の私にとっては「人間行動進化学」のほうがしっくりくるところがあるのですが、より一般に知られている名称であろう「進化心理学」を用いることにしました。
コラム連載時の「絶望の進化心理学」というタイトルの通り、本書では病気や陰謀論などネガティブな印象を与えるテーマをおもに扱っています。しかし、それらのテーマに関連した問題について、解決や改善を目指したさまざまな取り組みが行われていることも事実です。そうした前向きな取り組みについても、進化心理学の応用として、できるだけ紹介するようにしました。
第1章では「うつ」「自殺」「依存症」をテーマとしています。これらは、ヒトが陥る自己否定的な状態、またはその結果として生じうる事態と言えます。しかし、進化心理学の観点からは、これらはいずれもヒトの生存や繁殖にとってプラスとなりうる状況と深く関係している可能性が見えてきます。こうした逆説的な、いわば常識とは逆の考え方を一定の根拠を伴って提示できるところが進化心理学の面白いところです。
第2章では「DV」「子殺し」「サイコパス」という、他人に対する暴力や攻撃性に関係したテーマを扱っています。こうした他人に対する攻撃性に関する研究は、進化心理学が得意とする分野です。ヒトの攻撃性はどのような条件や状況下で強まるのか、それがヒトの生存や繁殖とどのように関係しているのか、という視点で読んでいただけると理解しやすいかと思います。
第3章は「差別」「戦争」「陰謀論」「宗教」という、人間同士の対立や分断に関係したテーマを扱っています。対立が強まる条件についての研究が発展したことで、そうした研究成果に基づいて対立を克服する方法を開発しようという取り組みが始まっています。希望を捨てずに取り組む研究者の姿にも注目していただきたいです。
第4章は「精神」「組織」「人類の未来」をテーマとしています。「組織」についてのパートは今回の書籍化に伴って新たに書き下ろしました。現代の社会では職場でのストレスが精神疾患を増大させる要因の一つであることは間違いありません。このパートでは、ヒトにとってストレスの少ないヒューマンセントリック(人間主体)な組織を実現しようとする取り組みについて、最新の研究を紹介します。
読者の方々にとって本書が人間理解の一助になれば、著者として大変うれしく思います。
「はじめに」より
なぜヒトは心を病むようになったのか?(文春新書 1467)
定価 990円(税込)
文藝春秋
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2024.10.10(木)